幸せになるために
物音と、部屋の明かりが点いた事により、入口付近に佇むオレの存在に気付いた聖くんは、泣き笑いの表情でこちらにたたたーっと駆け寄って来た。

そしてオレの太ももの辺りに、両手を回してぴと、とすがり付く。

その確かな感触に、オレは心底驚きながら、思わず、聖くんの肩を抱こうとしたのだけれど…。


やはり、その手は素通りしてしまった。


「起きたらどこにもいなかったから、もしかして、他の人みたいにおひっこししちゃったのかと思って…」

「ご、ごめんね」


オレはその場に膝を着き、ベソをかいている聖くんと目線の高さを合わせてから言葉を繋ぐ。


「今日はお兄ちゃん、お仕事だったんだ。聖くん、気持ち良さそうに寝てたから、『行って来ます』を言わないで出掛けちゃったんだけど……」

「あ、おしごとか~。それじゃあ、しかたがないよね~」


聖くんは合点がいったように、ウンウン、と頷いた。

そして滲んでしまった涙を拭うためか、セーターの袖で瞼をゴシゴシと擦りながら明るく言葉を発する。


「今までは一人でおるすばんなんかへっちゃらだったのに、なんだかぼく、すっごく弱虫になっちゃった」

「っ…弱虫なんかじゃないよ!」


顔を上げ、エヘヘと笑うその姿があまりにも健気でいじらしくて、オレは思わず聖くんを抱き締めた。


「聖くんはまだたったの、5才なんだからっ」


オレからは触れないけれど、それを悟られないように、視覚を頼りに聖くんの小さな体を抱き締めて、肩口に顔を埋めながら囁く。


「我慢なんか、しなくて良いんだよ…。淋しかったら、泣いても良いんだよ…」


そうしたらオレがまたこうして、聖くんを強くきつく、抱き締めるから。


「比企さん…」


オレの後を付いて来ていた吾妻さんが、その事に気付いたのか、背後から気遣うように声をかけてくれた。


……いけない。

オレが泣いている場合じゃない。

この子の前では明るく楽しく、そして強い男でいなくちゃいけない。

聖くんに気付かれないように、右手で両頬の涙を素早く拭っていると、彼はおもむろに、ポツリと呟いた。
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