ラッキーセブン部
第三二話 恋とエゴ
「じゃあ、栄くんって呼ぼうか」
私がそう言うと、二人は目を丸くして驚いた顔になった。
………
「ありがとう、七恵。お見舞いに一緒に来てくれて」
「ううん。それより、大丈夫?」
「あと一週間で治るみたい」
和香は目を伏せながら、そう言った。
放課後、蝉の声が響く街路樹の道を通りながら、私は和香の飼っている猫のお見舞いをしに、帰り道とは逆方向、駅から離れた所にある動物病院を目指し歩いていた。
一週間前に和香の猫は近所の犬に噛まれて左の後ろ足を骨折したらしい。家猫でいつも大人しく家にいるのに、和香が外出しているその日に限って開いていた窓から外に出て行ってしまったらしい。そして、他の家に迷い込んでしまって噛まれたということなのだろう。和香は、自分の責任だと悔しそうに話していた。和香が本当にとても大事にしている猫だから、同じ猫を飼っている私としても心配でお見舞いに行くことにしたのだった。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけどいい?」
そうやって、私が猫に思考を全部預けている時、和香からそう問いかけられた。
いつになく、真面目な声色だったので、私は少し緊張した。なんの質問だろう。
「どうしたの?」
「好きな人いる?」
私はその質問に驚いた。前までは好きな猫の種類とかしか聞いてこなかったのにいきなり人とは…。
「クラスとか部活内でいないの?」
黙っている私を見て、そう一言付け加えた。
私の好きな人……。
思えば、私は小学生の時も中学生の時も好きと思える人は一人も現れなかった。周りの人が付き合ってるのを見て、楽しそうだなとは思うけれど、友達と一緒にいる時と変わらないのではないかと思っていた。恋ができないからといって特に困ることなんてなかったから高校生になっても私は未だに誰も好きになっていない。男子に興味がないわけではないけれど、少し距離をおいて見てしまうから仕方が無い。それにもう一つの要因は勉強だろう。私の兄は頭がいい。荻野と同じと言ってもいいほどに。そんな兄に負けないよう、周囲に比較されないよう、私は勉強をしていた。だから、学校は私にとって、勉強のみをする場だとも思っていた。
ラッキーセブン部……。
でも、あの人達と会ってから私は少しずつ変わってきている気がする。そして、そんな変わっていく自分が不思議と嬉しい。あの自由な部活が勉強以外の楽しさを私に教えてくれている。けれど、やっぱり、恋だけは分からない。
「……どうして、そんな質問するの?」
ただ恋バナをしたいと思ってるだけかもしれないけれど、和香がこの質問をした理由が気になる。
「んー。私の好きな人言ったら、七恵も教えてくれる?」
「え?……和香いるの?」
というか、和香は私に好きな人がいる設定で話が進んでいこうとしてる。
「いるよ。眼光鋭くて、背が高い。ヤンキーみたいな一年生」
和香の言っている人の想像をしてみると私の知っている限り、それはただ一人しかいなくて。
「こ、近藤……?」
ほかの一年生かもと思いながらも、そっと小さく呟いた。すると、和香は少し微笑みながら頷いた。
「うん。それは七恵の好きな人は?理想の人でもいいし」
「そんな急に言われても…」
私に質問する余地も与えず、和香は私に質問を投げかける。なぜ、そこまで知りたいのか、理解ができない。それに…和香がどうして近藤のことが好きなのかの方が気になってしまう。接点が少ないうえにこの前、口喧嘩をしてたような気がする。ますます、恋心というものが分からなくなる。
「…七恵?」
「ごめん。私、よく分からなくて…」
色々と……。
「でも、七恵。部長のファンだって言ってたじゃん」
そういえば、前にそんな話をしたっけ。でも、あの時は礼儀の知らない荻野の復讐をするためになりすましていただけだから……。
「…あれは言葉のあやで…本当のファンじゃないから……ファンなわけがない」
というか、後輩のファンになるなんて私にしてみればありえないことだ。
「一体、部長さんと何があったの…」
和香は苦笑いしてから、でもと続けた。
「でも、部長さん。七恵のこと好きだよね?」
「っ?!」
和香の発言に思わず、声にならない声が出た。
荻野が私のことを好き?ありえない。……あいつはいつだって、私のことを一歩離れた場所から見てる……気がするからそんなはずはない。
「だ、大体、荻野は勉強とポーカー以外に興味ないらしいし…」
「それ、誰情報?」
「倉石君」
荻野の弱点を見つけようと数ヶ月前に倉石君に頼んで調べてもらった情報だ。倉石君は真面目な性格だからこの情報に嘘はないと思うのだけれど。
「ダメだよ。七恵。男子に聞いちゃ。もし、その男子が七恵に好意を寄せてたら嘘をつくかもしれないじゃん」
「こ、好意…って」
また、和香はとんでもないことを言う。
倉石君は中学が同じで委員会も同じだったけど、その時の接点は少ないんだし、倉石君が私を好きになるはずが無い。それに噂では彼女がいるっていうのだからなおさら、私のことなど眼中に無いだろう。
「……それに隼一も好きみたいだし」
「近藤…」
文化祭の時に突然、告白をした近藤。あの時の私は相当、焦っていたと思う。突然の告白もそうだけど、初めての告白だったから。今、思い出すだけでも…なんだか、妙な気分になってくる。隼一が去って取り残された私は近藤の気持ちに答えることができないという哀しみと誰かに想われていたことが嬉しいとが混ざりあっていた。
和香は近藤が私のことを好きと分かっていながら想っているということになる。私はどうすればいいんだろう。
「…あれ?そういえば、七恵。もう一人部員いたよね?誰だっけ」
和香は小首を傾げながらそう言った。
「あ、坊ちゃん?」
「なにそれ、あだ名?」
「うん。見た目が坊ちゃんみたいだからいつの間にかそう言う呼び方してた」
坊ちゃんは…同じ部活なのにあまり接点がないかも。いつも、荻野と一緒にいるはずなのにどうしてだろう。
「じゃあ、思い切ってあだ名呼びをやめて名前で呼んでみれば?そうすれば、きっとみんなの気持ちが分かるから」
和香は意味深に私を見て微笑んだ。
坊ちゃんの名前呼びで…何が分かるの?
……というか、坊ちゃんの名前なんだっけ…?
荻野は栄って呼んでて、倉石君と近藤は栄先輩…。ダメだ。下の名前しか知らない。
「あ、七恵。噂をすれば、なんとやら。部長さんと坊ちゃん。それと…誰かと話してるみたい」
和香に言われて前方を見ると確かに荻野と坊ちゃんがいた。そして、もう一人知った後ろ姿が見える。片手にコンビニの袋を持った英兄だ。
「……英兄に絡まれてる」
「あ、そうだ。私、学校に忘れ物しちゃった。ごめん。先に行ってて」
「え?…和香?」
和香は私の肩をポンと叩くと足早に路地に入って行ってしまった。私は追いかけようとして路地を見たがもう和香の姿はなかった。
……動物病院の場所を知ってるとはいえ一人で行くには心細い距離だ。
取り残された私は仕方なく、和香が戻ってくるまで少し時間を稼ぐため、その三人に近寄っていった。
………
そうして、今に至っているというわけで…。
荻野は明らかに動揺してるようでさっきから、何か言おうと口をパクパクとさせていた。一方、坊ちゃんの方は、不思議そうに私を見ている。
「俺、どちらかというと苗字で呼ばれた方がいいです。みんなと同じように」
そう言いながら、隣にいる荻野の様子を伺っている。
…そう言われても、苗字を知らないから言いようがない。
「笹井先輩。……どうして呼び方を変えようとしてるんですか?」
私が悩んでいると荻野は小さくつぶやくような声で私に問いかけてきた。
なんで…荻野はこんなに真剣な表情で私を見ているんだろう…。
『部長さん。七恵のこと好きだよね?』
さっきの和香の言葉が私の頭に浮かんできた。
そんな…まさか……。
「先輩…?どうしたんですか?」
心配そうな顔で私の顔を荻野は覗き込んできた。
私は咄嗟に目をそらし、頭を振った。
「ううん。なんとなく、栄くんだけあだ名っていうのはちょっと可哀想かなって思って」
「…っ」
私が栄くんと言うとまた、荻野は唇を噛み不快そうな顔をした。なんで、荻野はこんな顔をしているんだろう。
「荻野…?」
「先輩は栄のこと…」
「あー!しまったー!」
荻野が何か言おうとするのを止めるかのように栄くんは大声を張り上げた。
「…どうした。栄」
荻野は冷静でありながらも少し苛立ちのこもった声で栄くんに問いかけていた。
「今日は父さんに早く帰ってくるように言われてたんだった!じゃあね、正弥」
栄くんはそう言い放ち、青から赤に変わりそうな信号の横断歩道を渡って行ってしまった。
走り去る前の栄くんの顔が寂しげに見えたせいか…申し訳ない気分に一瞬、襲われた気がした。和香から提案されたとはいえ、やはり、慣れないことはしない方がいいと思った。
私達はしばらく車が行き来する道路を呆然と見つめていた。そうして、信号が青に変わったとき荻野が先に口を開いた。
「先輩。お見舞い行かなくていいんですか?」
そうだった。動物病院に行かないと。英兄に絡まれている二人を助けただけなのだからここにこれ以上いる意味はない。
「うん。行かなきゃ……」
「ななちゃぁぁあん!!」
その時だった、全速力で英兄が走ってきたかと思うと、私の後ろから飛びついてきた。というか、抱きしめてきた。押しつぶされるかのごとく、ギュッと抱きしめられる。英兄は身長が高いし、体格もいいからこのように全身全霊で抱きしめられると重い。
「…英兄、重い」
「貴様、つくづく、ななちゃんと二人きりになりやがって、どういうつもりだ」
「…すみません」
「謝ってすんだら、警察はいらな…」
「英兄重い!!」
私はやっとのことで英兄の呪縛を解いてついでにスネをちょっと蹴った。重いのもそうだけど何といっても恥ずかしい。いくら、兄妹と言ってももういい歳だ。昔とは違う。
「く〜……っ」
英兄は近くにあった電柱に片手をついて悶絶していた。
「私はお見舞いに行くんだから、邪魔しないで。荻野も早く栄くんを追いかけた方がいいと思うよ」
私は二人に背を向け、足早にその場を離れた。理由は2つ。これ以上いると英兄が暴走する…。荻野には申し訳ないけどこれ以上どうすることできない。それとなんとなく早く和香に会って色々聞きたい。ただ、ひたすらに私は振り向くことはせず、動物病院へ足早に向かった。
ー動物病院ー
和香が学校に行って戻ってくるよりも早く着いたのかな。少し、遅くなってしまったかもしれない。ここの病院はそこそこ大きいので動物だけでなく人も多く、お互い見つけられるか不安だったけれど和香はもういた。
受付の前の席に座って『ネコの○もち』という本を読んでいた。ちなみにこの本は和香が所持しているもので学校でもたまに読んでいる。
私がいることに気づくとその本から目を離し笑顔で手を振った。
「七恵、遅かったね」
「…うん、ちょっとね。そういえば、和香、何忘れたの?」
私は和香の隣に座りながら素朴な疑問を投げかけた。和香は読んでいる本を閉じ立ち上がった。
「……本当は忘れ物なんてしてない」
そして、ごめんねと言うとそのまま私の横を通り過ぎて病院の奥へと入っていってしまった。
どういうこと?それじゃあ、和香は意図的に私を一人にして行ったということになる。なんのために、そんなことをする必要があるんだろう。お願いだから、私を置いていかないで欲しい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
七恵が隼一のことを好きじゃないのは分かってる。でも、それでも不安だよ。七恵は恋をしたことがない。恋に関して無知だ。だからこそ、私は焦ってしまう。
七恵が隼一以外の誰かと付き合えば、私の不安は取れると思って、キッカケ作りのために私はわざとあの場から離れた。
私みたいな人をエゴイストっていうのかな。
私がそう言うと、二人は目を丸くして驚いた顔になった。
………
「ありがとう、七恵。お見舞いに一緒に来てくれて」
「ううん。それより、大丈夫?」
「あと一週間で治るみたい」
和香は目を伏せながら、そう言った。
放課後、蝉の声が響く街路樹の道を通りながら、私は和香の飼っている猫のお見舞いをしに、帰り道とは逆方向、駅から離れた所にある動物病院を目指し歩いていた。
一週間前に和香の猫は近所の犬に噛まれて左の後ろ足を骨折したらしい。家猫でいつも大人しく家にいるのに、和香が外出しているその日に限って開いていた窓から外に出て行ってしまったらしい。そして、他の家に迷い込んでしまって噛まれたということなのだろう。和香は、自分の責任だと悔しそうに話していた。和香が本当にとても大事にしている猫だから、同じ猫を飼っている私としても心配でお見舞いに行くことにしたのだった。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけどいい?」
そうやって、私が猫に思考を全部預けている時、和香からそう問いかけられた。
いつになく、真面目な声色だったので、私は少し緊張した。なんの質問だろう。
「どうしたの?」
「好きな人いる?」
私はその質問に驚いた。前までは好きな猫の種類とかしか聞いてこなかったのにいきなり人とは…。
「クラスとか部活内でいないの?」
黙っている私を見て、そう一言付け加えた。
私の好きな人……。
思えば、私は小学生の時も中学生の時も好きと思える人は一人も現れなかった。周りの人が付き合ってるのを見て、楽しそうだなとは思うけれど、友達と一緒にいる時と変わらないのではないかと思っていた。恋ができないからといって特に困ることなんてなかったから高校生になっても私は未だに誰も好きになっていない。男子に興味がないわけではないけれど、少し距離をおいて見てしまうから仕方が無い。それにもう一つの要因は勉強だろう。私の兄は頭がいい。荻野と同じと言ってもいいほどに。そんな兄に負けないよう、周囲に比較されないよう、私は勉強をしていた。だから、学校は私にとって、勉強のみをする場だとも思っていた。
ラッキーセブン部……。
でも、あの人達と会ってから私は少しずつ変わってきている気がする。そして、そんな変わっていく自分が不思議と嬉しい。あの自由な部活が勉強以外の楽しさを私に教えてくれている。けれど、やっぱり、恋だけは分からない。
「……どうして、そんな質問するの?」
ただ恋バナをしたいと思ってるだけかもしれないけれど、和香がこの質問をした理由が気になる。
「んー。私の好きな人言ったら、七恵も教えてくれる?」
「え?……和香いるの?」
というか、和香は私に好きな人がいる設定で話が進んでいこうとしてる。
「いるよ。眼光鋭くて、背が高い。ヤンキーみたいな一年生」
和香の言っている人の想像をしてみると私の知っている限り、それはただ一人しかいなくて。
「こ、近藤……?」
ほかの一年生かもと思いながらも、そっと小さく呟いた。すると、和香は少し微笑みながら頷いた。
「うん。それは七恵の好きな人は?理想の人でもいいし」
「そんな急に言われても…」
私に質問する余地も与えず、和香は私に質問を投げかける。なぜ、そこまで知りたいのか、理解ができない。それに…和香がどうして近藤のことが好きなのかの方が気になってしまう。接点が少ないうえにこの前、口喧嘩をしてたような気がする。ますます、恋心というものが分からなくなる。
「…七恵?」
「ごめん。私、よく分からなくて…」
色々と……。
「でも、七恵。部長のファンだって言ってたじゃん」
そういえば、前にそんな話をしたっけ。でも、あの時は礼儀の知らない荻野の復讐をするためになりすましていただけだから……。
「…あれは言葉のあやで…本当のファンじゃないから……ファンなわけがない」
というか、後輩のファンになるなんて私にしてみればありえないことだ。
「一体、部長さんと何があったの…」
和香は苦笑いしてから、でもと続けた。
「でも、部長さん。七恵のこと好きだよね?」
「っ?!」
和香の発言に思わず、声にならない声が出た。
荻野が私のことを好き?ありえない。……あいつはいつだって、私のことを一歩離れた場所から見てる……気がするからそんなはずはない。
「だ、大体、荻野は勉強とポーカー以外に興味ないらしいし…」
「それ、誰情報?」
「倉石君」
荻野の弱点を見つけようと数ヶ月前に倉石君に頼んで調べてもらった情報だ。倉石君は真面目な性格だからこの情報に嘘はないと思うのだけれど。
「ダメだよ。七恵。男子に聞いちゃ。もし、その男子が七恵に好意を寄せてたら嘘をつくかもしれないじゃん」
「こ、好意…って」
また、和香はとんでもないことを言う。
倉石君は中学が同じで委員会も同じだったけど、その時の接点は少ないんだし、倉石君が私を好きになるはずが無い。それに噂では彼女がいるっていうのだからなおさら、私のことなど眼中に無いだろう。
「……それに隼一も好きみたいだし」
「近藤…」
文化祭の時に突然、告白をした近藤。あの時の私は相当、焦っていたと思う。突然の告白もそうだけど、初めての告白だったから。今、思い出すだけでも…なんだか、妙な気分になってくる。隼一が去って取り残された私は近藤の気持ちに答えることができないという哀しみと誰かに想われていたことが嬉しいとが混ざりあっていた。
和香は近藤が私のことを好きと分かっていながら想っているということになる。私はどうすればいいんだろう。
「…あれ?そういえば、七恵。もう一人部員いたよね?誰だっけ」
和香は小首を傾げながらそう言った。
「あ、坊ちゃん?」
「なにそれ、あだ名?」
「うん。見た目が坊ちゃんみたいだからいつの間にかそう言う呼び方してた」
坊ちゃんは…同じ部活なのにあまり接点がないかも。いつも、荻野と一緒にいるはずなのにどうしてだろう。
「じゃあ、思い切ってあだ名呼びをやめて名前で呼んでみれば?そうすれば、きっとみんなの気持ちが分かるから」
和香は意味深に私を見て微笑んだ。
坊ちゃんの名前呼びで…何が分かるの?
……というか、坊ちゃんの名前なんだっけ…?
荻野は栄って呼んでて、倉石君と近藤は栄先輩…。ダメだ。下の名前しか知らない。
「あ、七恵。噂をすれば、なんとやら。部長さんと坊ちゃん。それと…誰かと話してるみたい」
和香に言われて前方を見ると確かに荻野と坊ちゃんがいた。そして、もう一人知った後ろ姿が見える。片手にコンビニの袋を持った英兄だ。
「……英兄に絡まれてる」
「あ、そうだ。私、学校に忘れ物しちゃった。ごめん。先に行ってて」
「え?…和香?」
和香は私の肩をポンと叩くと足早に路地に入って行ってしまった。私は追いかけようとして路地を見たがもう和香の姿はなかった。
……動物病院の場所を知ってるとはいえ一人で行くには心細い距離だ。
取り残された私は仕方なく、和香が戻ってくるまで少し時間を稼ぐため、その三人に近寄っていった。
………
そうして、今に至っているというわけで…。
荻野は明らかに動揺してるようでさっきから、何か言おうと口をパクパクとさせていた。一方、坊ちゃんの方は、不思議そうに私を見ている。
「俺、どちらかというと苗字で呼ばれた方がいいです。みんなと同じように」
そう言いながら、隣にいる荻野の様子を伺っている。
…そう言われても、苗字を知らないから言いようがない。
「笹井先輩。……どうして呼び方を変えようとしてるんですか?」
私が悩んでいると荻野は小さくつぶやくような声で私に問いかけてきた。
なんで…荻野はこんなに真剣な表情で私を見ているんだろう…。
『部長さん。七恵のこと好きだよね?』
さっきの和香の言葉が私の頭に浮かんできた。
そんな…まさか……。
「先輩…?どうしたんですか?」
心配そうな顔で私の顔を荻野は覗き込んできた。
私は咄嗟に目をそらし、頭を振った。
「ううん。なんとなく、栄くんだけあだ名っていうのはちょっと可哀想かなって思って」
「…っ」
私が栄くんと言うとまた、荻野は唇を噛み不快そうな顔をした。なんで、荻野はこんな顔をしているんだろう。
「荻野…?」
「先輩は栄のこと…」
「あー!しまったー!」
荻野が何か言おうとするのを止めるかのように栄くんは大声を張り上げた。
「…どうした。栄」
荻野は冷静でありながらも少し苛立ちのこもった声で栄くんに問いかけていた。
「今日は父さんに早く帰ってくるように言われてたんだった!じゃあね、正弥」
栄くんはそう言い放ち、青から赤に変わりそうな信号の横断歩道を渡って行ってしまった。
走り去る前の栄くんの顔が寂しげに見えたせいか…申し訳ない気分に一瞬、襲われた気がした。和香から提案されたとはいえ、やはり、慣れないことはしない方がいいと思った。
私達はしばらく車が行き来する道路を呆然と見つめていた。そうして、信号が青に変わったとき荻野が先に口を開いた。
「先輩。お見舞い行かなくていいんですか?」
そうだった。動物病院に行かないと。英兄に絡まれている二人を助けただけなのだからここにこれ以上いる意味はない。
「うん。行かなきゃ……」
「ななちゃぁぁあん!!」
その時だった、全速力で英兄が走ってきたかと思うと、私の後ろから飛びついてきた。というか、抱きしめてきた。押しつぶされるかのごとく、ギュッと抱きしめられる。英兄は身長が高いし、体格もいいからこのように全身全霊で抱きしめられると重い。
「…英兄、重い」
「貴様、つくづく、ななちゃんと二人きりになりやがって、どういうつもりだ」
「…すみません」
「謝ってすんだら、警察はいらな…」
「英兄重い!!」
私はやっとのことで英兄の呪縛を解いてついでにスネをちょっと蹴った。重いのもそうだけど何といっても恥ずかしい。いくら、兄妹と言ってももういい歳だ。昔とは違う。
「く〜……っ」
英兄は近くにあった電柱に片手をついて悶絶していた。
「私はお見舞いに行くんだから、邪魔しないで。荻野も早く栄くんを追いかけた方がいいと思うよ」
私は二人に背を向け、足早にその場を離れた。理由は2つ。これ以上いると英兄が暴走する…。荻野には申し訳ないけどこれ以上どうすることできない。それとなんとなく早く和香に会って色々聞きたい。ただ、ひたすらに私は振り向くことはせず、動物病院へ足早に向かった。
ー動物病院ー
和香が学校に行って戻ってくるよりも早く着いたのかな。少し、遅くなってしまったかもしれない。ここの病院はそこそこ大きいので動物だけでなく人も多く、お互い見つけられるか不安だったけれど和香はもういた。
受付の前の席に座って『ネコの○もち』という本を読んでいた。ちなみにこの本は和香が所持しているもので学校でもたまに読んでいる。
私がいることに気づくとその本から目を離し笑顔で手を振った。
「七恵、遅かったね」
「…うん、ちょっとね。そういえば、和香、何忘れたの?」
私は和香の隣に座りながら素朴な疑問を投げかけた。和香は読んでいる本を閉じ立ち上がった。
「……本当は忘れ物なんてしてない」
そして、ごめんねと言うとそのまま私の横を通り過ぎて病院の奥へと入っていってしまった。
どういうこと?それじゃあ、和香は意図的に私を一人にして行ったということになる。なんのために、そんなことをする必要があるんだろう。お願いだから、私を置いていかないで欲しい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
七恵が隼一のことを好きじゃないのは分かってる。でも、それでも不安だよ。七恵は恋をしたことがない。恋に関して無知だ。だからこそ、私は焦ってしまう。
七恵が隼一以外の誰かと付き合えば、私の不安は取れると思って、キッカケ作りのために私はわざとあの場から離れた。
私みたいな人をエゴイストっていうのかな。