やくたたずの恋
「シホ」と言いながら見せていた、優しい顔。愛おしげに繰り返す、手への口づけ。さっきまで彼の上に確かに存在していたものは、今やもう、あるはずもなかった。
 いや、最初からそんなものはなかったのだ。彼は雛子を嫌っているのだから。寝ぼけながら見せた、愛情に溢れる数々のシグナルは、別の誰かに向けられたものなのだろう。
 だから、落ち込む必要もない。結婚すれば、毎日この人と過ごさなくてはならないのだ。冷たい視線と、愛情の欠片もない態度。それを味わいながら一緒に過ごすのだ。
 ……そうだよね。それが、私の結婚。私の夫。私の……。
 雛子はカシュクールの襟元を掴み、開こうとした。だが、どうしても手が動かない。唇を噛みしめ、必死で手を動かす。だけど、全く言うことを聞かない。
 違う、手が正しいのだ。心が間違っている。自分の心が、嘘をついているだけだ。
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