やくたたずの恋
「でも、今日の恭平さんは優しいですね。私を心配してくださるなんて」
 前を歩く恭平の背中に声を掛けつつ、雛子は事務室へと入った。
「敦也さんもおっしゃってましたよ。恭平さんは、優しい人なんだって。それに、今の恭平さんは、この前の恭平さんに似ています」
「この前?」
「私が敦也さんの仕事を終えて、ここに帰ってきた時のことです」
 恭平はデスクの椅子に腰掛け、首を捻る。あの時のことは、彼の記憶には残っていないのだろう。あんなに優しい顔をして、愛おしそうに雛子の手にキスをしていたと言うのに。
 雛子は残念な気持ちを抱えつつ、デスクを回り込み、恭平の前に立った。
「確かあの時、うたた寝していた恭平さんは『シホ』っておっしゃって、優しく微笑んでいたんです。あんな笑顔を見せてくれるなら、恭平さんと結婚してもいいんじゃないかなーって思ったぐらいなんですよ! だから……」
「止めろ」
 恭平の一言で、空気にピリ、とした痛みが走る。
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