やくたたずの恋
「ねぇ、あの雛子ちゃんってお嬢さんが、あなたと結婚したがってるって、本当なの?」
「……誰から聞いた?」
 悦子はああ見えて、口が堅い。元々大企業の上層部で働いていたこともあり、守秘義務というものには徹底しているのだ。
 では一体、誰が志帆に雛子の素性をバラしたのか。恭平へと歩み寄っていた志帆は、あっさりと「敦也くんよ」と白状した。
「敦也くんは彼女のこと、気に入ってるみたいね。星野も彼女を悪くは思ってないようだし、なかなか便利な子じゃない?」
「人を物みたいに言うなよ」
「人を物みたいに売った人間の息子になんて、何も言われたくないわ」
 確かにその通りだ。恭平は志帆の皮肉に納得しながら、はは、と乾いた笑い声を上げる。
 恭平の前で立ち止まった志帆は、ゆったりと微笑んだ。凪の海のような動きで、恭平の手を取り、自分の頬に当てる。昔から続く、志帆の変わらない仕草だ。そして恭平も彼女の手を取り、唇をつける。それが二人の愛情表現だった。
 だがそれも、今となっては、昔を思い出す装置に過ぎない。その証拠に、恭平の手は、彼女へと触れるために動こうとはしない。煙草の匂いが染み着いた指先は、志帆を探しているのに、目の前の志帆に反応しないのだ。
 この志帆は、志帆であって、志帆ではない。彼の指は、それを知っている。今の志帆は、あのあたたかい雰囲気に包まれた少女ではなく、この世を全て恨み尽くす女と成り果てているからだ。
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