やくたたずの恋
 彼女の海の一部として取り込まれれば、もうどこにも戻れない。そんな嵐の海から逃げようと、頭だけを波の上に出し、見えない陸を目指して恭平は泳ぎ続けていた。そして見つけたのが、雛子だ。希望の明かりを照らし、こちらへ来い、と導いた光だ。
 そんな彼女を、離したくはない。恭平は志帆を見つめたまま、雛子を強く抱き締める。しかし雛子は、その腕を振り解いてしまった。
「雛子!」
 初めてまともに呼んだ、彼女の名前。それに雛子は振り返ることなく、志帆の前へと駆けていく。そして志帆の前で立ち止まると、両手を大きく広げた。
「来ないで! もう……恭平さんには近寄らないで!」
 羽化したばかりの蝶が、乾き切らない羽を必死で広げる。そんな子供じみた通せんぼをする雛子の希望に応え、志帆は足を止めた。
 大きな波は、そこまで来ている。志帆が引き起こした波は、恭平をさらうためのものだったはずだ。なのに今となっては、全てを破壊する魔物となってしまっていた。
 それを鎮めなくては。自ら進んで海の神への捧げものになろうと、雛子は志帆へと一歩、足を踏み出した。
「志帆さんは……星野さんの気持ちを分かってないんです! 星野さんは、あんなに志帆さんを大好きなのに……。星野さんの真剣な気持ちが分からない人に、今の恭平さんの気持ちだって、分かるはずがないです!」
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