やくたたずの恋
 叫んだ恭平の目の前に、雛子の姿が浮かぶ。
 一番輝いていた頃の志帆と同じ、春の気配を持っている。最初に雛子を見た時は、ただそう思っていただけだった。
 なのに、いつからだっただろうか? 彼女を志帆の代わりだとは思えなくなったのは。彼女が図々しくも恭平の心へと忍び込み、あたたかいもので包んでくれるようになったのは。
――恭平さん……大好きです――
 そう言って雛子が抱き締めてくれた感触が、ふわりと恭平を包み込む。あの時、恭平は不覚にも泣いていた。ずっと罪の意識を抱えていたのに、全てを彼女が許してくれたように感じていたからだ。
「俺は、あいつに救われた。地獄で佇んでいた俺を、そこで生きる必要はない、と教えてくれた。幸せになることが罪ではないと、あいつのお陰でやっと気づけた」
 雛子を思うだけで、心が柔らかさを取り戻していく。こんな暗い部屋の中でも、光はすぐそこにある。そう信じられるのだ。
 そんな彼女は今、きっと地獄の底を覗き込んでいる。その恐ろしさに泣き叫んでいるかも知れない。何度も「恭平さん」と呼んでくれた、あの澄んだ声で、助けを求めていることだろう。ならば、救い出さなくては。
 恭平は立ち上がり、目を落とした。そこには、大切なものを失う予感に怯える志帆がいる。
「もう終わらせよう、志帆。俺たちの長い恋は、これでやっと終われる」
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