やくたたずの恋
 そこまで言えば、雛子の涙の量が増えてしまう。敦也がいた時は、必死で声を押し殺して泣いていたものの、もうそれはできない。心に幾重にもなって重なった想いを吐き出すように、わああああ、と泣き叫んだ。
「……悪かったな。ごめん」
 雛子の泣き声に紛らせて、恭平がドアに口を付けて呟く。その低い響きが、雛子の体を撫でるように伝わった。
 白いタイルのバスルームが雛子の泣き声で染まり、悲しみの水色の気配を漂わせる。その中で雛子は何とか喉を絞り、泣き止もうとしていた。涙はまだ溢れるものの、タオルを口に押し当てて立ち上がり、雛子はドアを開ける。
 恭平の前へと姿を現した雛子は、目や鼻を真っ赤にして、フレッシュな涙を顔じゅうに塗りたくっていた。駄々をこねた子どもに似たその表情に、恭平は思わず吹き出してしまった。
「ひっでぇ顔だな。ずーっと泣いてたのか?」
 雛子は返事をしない。恥ずかしそうに、足下の床を見ているだけだ。
「俺のこと、嫌いになったか?」
 腕を組んで恭平が尋ねると、雛子はゆっくりとしたリズムで首を横に振った。そして、潤いを保ち続ける瞳を、真っ直ぐに恭平へと向けた。
「……一度好きになった人を、そう簡単に嫌いになんてなれません」
「奇遇だな。俺もだよ」
 恭平は肩を竦めて笑い、雛子へと近づく。もう泣くな。その気持ちを込めて、彼女の頭に手を伸ばし、優しく撫でた。
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