やくたたずの恋
 恭平は指先で借用書を弾いた後、わざとらしく首を回し、周りを見る。照準は合っている。後は彼女の前へと行くのみだ。
 逸る心を抑え、恭平はステージから下り、その横に立っていた雛子の前へと進み出る。目の前で立ち止まるその男を、雛子はまじまじと見た。
 彼は、来てくれたのだ。悲しみの海も、過去の想いも、全てを乗り越えて、ここに来てくれた。
 その嬉しさだけで、雛子の心は満たされる。纏わりついていた重い空気もはね退け、久しぶりに本当の笑顔を見せる。恭平もそれに応え、優しい視線を彼女に落としていく。そして、ずっと考えていた台詞を、やっとのことで口にした。
「……そうだ。返済金の代わりに、この可愛いお嬢さんをいただいて帰りましょうか」
「ひ、雛子!」
 雛子の母が叫ぶと同時に、敦也が雛子の前へと立ちはだかった。砂糖菓子のような甘さの表情に、この時ばかりはマスタードの辛さを加えている。
「恭平、止めてくれ。こんなことをしても、誰も幸せにはならない」
「それはお前の意見だろ? 俺は俺で、幸せになりたんでね」
「でも、雛子ちゃんは……」
「だーかーらー! それもお前の問題じゃねぇよ。雛子の幸せは、雛子が考えるんだよ!」
 恭平は言葉が持つ熱を視線に込め、雛子へと移動させた。さぁ、どうする? そう雛子へと問い掛けるために。
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