いろんなお話たち

とにもかくにも二人共自宅待機となった。
とは言うものの普段から家にいたクラウスさんは別に違和感ないのだけども。
任務以外はその姿を消していた久登さんが四六時中家にいるのは……まぁ私は普段学校だし、貧乏屋敷にそぐわない外国人が家にいると思えばいいのかな。
送迎は以前のように母の仕事となった。
ええ~と渋っていたけど仕方ない!
「(り何とかって人が日本を発つまでの我慢だ…)」
り…李?
なんか中国人みたいな感じだけどあの茶髪サングラスはまさかフルーツの名前を言ってはいないよな……。
「遅かったねーみゆさん」
おはようという訛りに顔を上げれば担任の日向先生がいた。
もうバスはエントランスに着いたのか。
周りでは皆ぞくぞくと降り始めてる。
そうそう今日は道が混んでて遅かったのよね…お陰で今日はなぜか早く尿意を感じる…いきなりで悪いが朝から保健室のトイレ貸して貰いまし
「日向先生、あの」
しかしお手洗いのおの字も言えずに
「みゆさん、あのねお客様が来てて。教室行く前にちょっと…いいかな?」
自分で外せるからいいというのに毎回シートベルトをはずしてくる日向先生が、今日もベルトを外しながら言った。
客?
「ハァ…別にいいですけど…」
そしてエントランスを通り玄関へ行くと。
「遅かったわね」
待ち構えていたのはおあつらえ向きの西洋ドレスを着たお嬢様…………誰?
「?」
怪訝な顔が気に障ったのか眉を吊り上げていた女の子の顔がより一層険しくなりかけた時彼女の背後に控えていた男がさっと私達の間に入り、私の方を向いて片膝を地面に落とす――それはさながら一国の騎士のように――。
「お久しぶりでございます。私の事を覚えておいでですか?」
「! あ、貴方はあの時の――」
銃刀法違反した人だ!
茶髪がさらりと揺れる。
サングラスを外すと見えたのはエメラルドグリーンの目……。
「は…ハロー…」
カタコトの外国語が出たのは自然とだからどうか笑わないでほしい。
うわぁ綺麗だ。
いやそれよりも。本物の日本人(私)より流暢な日本語ってちょっとソレ反則じゃないかい?
「あら。貴方達は既に顔見知りの間柄なのね」
微笑む少女の言葉に男は答礼する事なく私を真っ直ぐと見据え
「私はレイ…此方は東條林檎様であらせられます」
自由に動く左手で思わず服の裾を掴んでいたからか。
麻痺の方の手を取られ、硬く握りしめられた甲に口付けを受けてしまった。
どうにもこういう騎士的挨拶は苦手……トイレ行きたい。
「(っていうか林檎って名前マジか! 可愛いな!)それで、用は何ですか」
早くしてくれ。
男に目を向けず少女を見据えると
「貴女にあるものをお譲り願いたいの」
「? 金なら今財布の中に122円しかないんですが」
膝上に載せたバッグを開け財布の中身を確認する…ぉ!
「すみません間違えました。390円あります」
残念ながら札は諭吉どころか英世もいないんだけど。
下向いてた顔を上げるとなぜか白けた視線を幾つも感じた。
え。
何で日向先生まで?
「……違うわ。お金とは比べ物にならない程綺麗で高価なものよ。世界に一つしかない誰もが求める至宝」
まるで謳うように声を発する中、男は何故か苦々しい顔をしていた。
「…はあ。そんなものがあったら私も欲しいですね…」
私の言葉に彼女はがくっと肩から前のめりになり
「もうっ! 私は久登の事を言ってるのよ!」
その言葉で全てが判った。
彼女はあの時のお嬢様で――。
「……彼にそこまでの価値が?」
久登さんに口付けた人。
なんだよ。
デブでブスという見た目がいやだから消毒頼んだかと思いきや、こんな美少女が相手とは。
久登さんも隅におけないなあ。
「珠玉とか言うからどこの石か気になりましたがそっかー人間ですか。じゃあアレだ、私は構いませんが本人に聞かないと。物じゃなく人には意思がありますからね」
彼は確かに綺麗な容姿をしてる。
大方このお嬢様は綺麗もの好きそうだから久登さんの外見が気に入ったんだろう。
既にナイスガイを侍らせておきながらなんて贅沢な。
しかしレイと久登さんは似ている。
金髪とか白い肌とか。
なるほど、ね。
私の言葉に少女は少しだけ驚いたように
「…何故? 幾らクラウスが残るからって貴女は不自由な」
「確かに生活上困る事や大変な事はふつうの人よりいっぱいあるけど、だからと言って人を雇う理由にはならない。私よりも苦しんでる人は沢山いるし。っていうかうちには多額の給料なんて払えないし他人が我が物顔で家にいるのはなんかムカつくわ! なのに馨さんはちっとも話聞かないであの二人だって出て行っていいって言ってるのに……」
握りしめた拳がぷるぷると震える。
私は苛々していた。
「そもそも私はトイレに行きたいのっ!!」
語気荒く宣言。
足は貧乏揺すりが止まらずもう我慢の限界だった。
半身が麻痺しているとはいえ、尿意もあれば生理もあるのよ。
間に合わない、例え日向先生に止められても行ってやる!
その場にいる人誰とも目を合わさず玄関近くの保健室へ足を進める。
肩から鞄を外し床に置いた。
「すみません、トイレ借ります!」

「何あの人は……」
「……(彼女が、三枝木馨が選んだ相手…)」
呆然とする少女とどこか笑む執事。
「あ、あのー、七海さんがどうも失礼を……」
遠慮がちに二人に声をかけた日向先生に割り込む形で
「お待たせしましたー」
私は玄関に戻った。
てっきりご立腹になって帰ったかと思ったけど……。
「久登さんの事なら本人が承諾すればOKだからね」
ついでにクラウスさんも連れてってくれると嬉しいな。
ともあれこれで話は引き上げだ。
日向先生に声をかけ去ろうとすると引き止める声が上がった。
「お待ちなさい」
「…?」
振り返ると
「貴女に興味が湧いたわ。いいでしょう、今日1日は付き合ってあげます」
「エ?」
なっなんだ急に口調が改まって…
「偶には愚民の生活を味わうのも乙ってものですし…」
「……あのう、ここは体の不自由な子が通う学校なので健常者のあなたは余所の学校に行った方がいいんじゃないかと思いますが」

……。
今、リビングにはただならぬ空気が漂ってる。
それは約二名が放つ殺気にも似た気配の所為で
「……今何つった?」
うち一人の地を這うような声。
私はビクリと体が震えながらも携帯を握りしめ今言った言葉を繰り返した。
「と…友達になったの。名前は東條林檎っていうお嬢様。あと執事のレイって人とも連絡先を」
「そうじゃねえ……」
「? 久登さんの話になったけど特に断る理由がないから協力するって言ったんだ」
「(東條家だからまだマシな方とはいえ……)この馬鹿が」
私が言い終わった直後に片手で顔を覆いながら、呻くように言ったクラウスさんの言葉は小さいながらもしっかりと耳に届いて。
馬鹿って何よ…少しムッとした。
「何の為に俺達がこんな下らない事をしてると思ってんだ」
「彼女はいい子だよ。クラウスさんさえ良ければ一緒に住まわせてくれるって。お金もちゃんとくれて、こんな狭い家じゃなくてもっと広ぉ~い所でのびのびと働けるんだよ」
「……。七海。少なくともあんたのその言葉が理由なら俺達は今ここにはいないだろう」
……分かってるよ、そんな事は。
反駁せず私は頬を膨らます。
気のせいか久登さんの言葉の端々に、苛立ったものを感じる。
「何故東條の言葉を承諾した。眞行が言ったように、俺達が話して聞かせた事を無碍にしたその意味が解っているのか」
「別に気を付けろってのは二人の他にも言われたし……っていうか久登さんもクラウスさんも馨さんの指示で私の傍にいるだけでしょ? もう充分なの」
私が林檎ちゃんの言葉にNOと答えなかったのはこの為。
行くなら行けばいい。
行かないのならずっとここにいても……クラウスさんがはじめの頃再三口にした言葉を、今はもう何の意味も成さない科白を声にするのは私なりの彼らの防衛。
「好きにしていいんだよ。葵として窮屈に外を歩かなくてもいい。久登さんには自由に生きて欲しいの」
……久登さんは何も言わなかった。
ただ静かに私と目も合わさず避けるように居間を出て行った。
「……自由にしろとか言っておきながら全部自分の願望じゃねえか。そんなに他我を押し付けて楽しいか」
クラウスさんの長い溜息が聞こえる。
なんだか最近この人溜息ばかり吐いているような……
「クラウスさん。言葉ってその人が死ぬまで一生力を持つ物なんですか」
「今は眞行だ。……正直馨さんには衣食住を与えて貰った分感謝はしているがその恩恵まで返そうとは思っちゃいねえ。事実上は解雇だしな、子守りが嫌ならお前が言ったように自分の好きな様に生きろとも言われた」
「こ、子守り…」
その単語に呆然としてしまったがそれよりも
「じゃあ久登さんもクラウスさんも望んで私の所に……?」
クラウスさんは無言で歩み寄ってくると私の頭の上に手を乗せた。
「な、なんですか…」
しゅ、手術したところ。
変なところ触らないでよ、とは彼の表情を見たら言えなかった。
わしゃわしゃと髪を乱すような乱暴な手付きじゃなくて壊れ物を扱うような繊細な手付き。
春に辞めたクラスの若い男の先生がよくこんな風に頭を撫でてくれたっけ。
その度に気持ちいいなって思って……。
「(…クラウスさん…)」
「…んな顔すんじゃねえよ。ったく、お前本当に馬鹿だな」
苦笑に近い感じのそれにはいつもの悪が感じられない。
<<私はいいから。みゆの所に行ってあげてくれないかな、久登さん>>
「(…若菜…)」
彼女みたいに二人を解放しなきゃいけないのに。
弱った……。

その夜。
言った事を取り消すつもりはなかったけどただ彼の気分を害した事について私は遅く帰宅した久登さんに詫びた。
彼は首を振り。
「此方こそ従者のような真似事をしてしまい申し訳ございません」
……寂しそうな顔が頭にちらついて布団に入っても中々寝付けなかった。
真似事……自分の存在は宙ぶらりんなものだって思ってるのかな。
違うよ。
執事とかSPとか主とか下僕とかそういうの全部とっぱらって家族みたいに…友達…ううん、知り合いのお兄さんぐらいの距離感でいたいのに。
それこそ偽の設定をそのままさ。
だから久登さんが望むなら他の場所を――林檎ちゃんの言葉が胸をよぎる。
<<約束するわ。今の生活よりも久登を幸せにしてあげる>>
でもそうすると盟約が無効になるからどんどん邪推して貰って嫌われた方がいいのかな。
それにしても
「……林檎ちゃんって思った通りのお嬢だよなあ」
暗い天井の真ん中でオレンジ色に光る小さな電灯。
あのお嬢様は多分こういう古めかしい昭和みたいな蛍光灯なんか見たことないに違いない。
……お嬢様……金持ちか……。
どうせ平凡な人生を望めないならそういうくじを引きたかったな。
「(引け目を感じたら負けだけど)はは……所詮私は、しょーがいしゃという括りにされるのか……」
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