いろんなお話たち

数日後。
林檎ちゃんからメールがきた。
そこにはなぜか次のクラウスさんの主人となる少女の事柄が事細かに記載してあったが。
いらない部分なのでそこは飛ばし読みして。
ただ、居場所が出来たというならそれでいいから。
USB配線でパソコンとつなぎあわせ、メールの内容をパソコンに転送したあとで印刷。
迎えに来てくれるらしいけど、名前も住所も電話番号もあるから大丈夫だろう。
独りで行ってくれるはずだ。
「(今を逃すと言えなくなりそうだし……)」
それにしても。
今の時代個人情報はうるさい筈だけど、力のある人間ってやっぱり怖いわぁ。

夜はなんだか暗いので昼間。
ついでにうるさいお父さんお母さんもいない時。
完全に私と彼が二人きりの時。
私は自分の部屋にクラウスさんを呼んで、切り出した。
「あ、あのねこないだ林檎ちゃんから電話が来たの。久登さん元気でやってるって。良かったよね」
「……そんな話をするためにわざわざ呼んだのか?」
相も変わらず彼は和装で敬語は消えてる。
別にいいんだけどさ。
ベッドの上に乗ったまま、上がる左足だけをぷらぷらと動かす。
首を振った。
「ううん。やめたいなと思ったの。林檎ちゃんに聞いたら、好い人紹介してくれて」
お尻の下に隠していた紙切れを見せる。
特にどこを見ていたわけでもない定まらなかった視界が、クラウスさんの眼が私を捉えた。
ねえ、クラウスさん。
あなたも久登さんもさ、ついに話さなかったね。
「クラウスさん。あなたの新しいご主人様、見つかったの。だから」
騙されたままでいるのは気分が悪いから。
「そうか。手間をかけたな」
しかし意外と彼はあっさりと瞳を閉じて満足そうにうなずいて。
拍子抜けする。
今の今まで、一度だってこんなことはなかった。
『三枝木さんのところに帰って! うちに居ないでよ!』
『……なぜ? 理由が見つかりません』
『じゃあ命令! 執事は主の命令に絶対従うんでしょ! いますぐ消えて!』
『そうですね。私もそうしたいところなのですが、生憎貴女は私の正式な主ではないので従えません』
『~~~~~っ、~~~っっ(く、悔しい…!)』
あのころに比べたら。
「…………」
あっさりすぎる。
茫然としてる間に、クラウスさんが近づいてくる。
やけに穏やかな顔だった。
私が左手で掲げていた紙を手に取り、
「ありがとう」
と言う。
どうして。
胸心でつぶやいて。
「………あ」
その想いのまま行動していたらしい。
着物の袖の部分を掴んでいた手をぱっと放す。
「ご、ごめんね」
立ち去る気配がない。
恥ずかしくて頬に熱が集まり俯いた。
なんで。
私、
「みゆ様?」
さらりと後ろで一括りにした長い髪が揺れる。
至近距離で顔を覗き込まれて、反則だと仰け反った途端、勢いでそのままスプリングの上に倒れてしまった。
慌てて左手をついて、シーツを掴んで起き上がろうとしたら起こしてくれる手があった。
「ありが」
お礼を言いかけて、唾と共に飲み込む。
唐突に歪んだ視界に、目がどうしたのかと不安になったから不自然に言葉が切れたのだ。
胸の中心がきゅううっと縮まる気がする。
目の奥が熱くなり瞼が重くなる。
あれ。
左手で右目は大丈夫かと手を伸ばしたら、頬が濡れていてぎょっとして手を離した。
「みゆ様」
名前を呼ばれる。
指を伸ばされてとっさに目を閉じたら熱い液体が頬を垂れた。
そのあとを追うように指が触れて、目尻の滴を拭う。
やだ。
「や、いいっ……いいから、おきたさん…!」
とっさに私は。
「みゆ様」
偽名を呼んだのに。
「みゆ様は、私に何をお求めですか。離れろと命じられますか、それとも」
―――傍に居ろと仰せになりますか。
吐息と共に囁くなんて狡い。
触れる距離なのではと思うぐらい、その唇が耳元に近くて。
どちらかなんて、決まってるじゃないか。
解ってるくせに。
「クラウスさん……っ」
楽しげな声音に腹が立つ。
震える私の声も。
背中に回る腕に、苛々とする。
なんて。
「や、です…っ。い、や……だっ」
拒絶してるのに、その腕は離れることなく寧ろ抱きしめてくる。
なんて意地悪な人。
「………ぅ……っ」
髪を、頭を撫でるなんて、ぽんぽんするなんて、私は子供か。
私はもう、大人なんだから子供扱いしないでほしい。
この人も、私の涙に絆されたからってあんまりだ。
左腕が動かない。
右腕みたいに麻痺してる。
瞼を閉じるとチラつく久登さんの顔。
同じように目の前の人も消えてしまうのだと思うと――私が望んだこととはいえ――思うように体が動かなかった。
どうしてだろうね。
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