いろんなお話たち

あの日の出来事は私の中で黒歴史として墓場まで持っていくことに決めた。
まさか昔久登さんに言われた、自涜をしてしまったなんて。
すぐに瓶は棄てようと思ったのだが、同時に二人のいた証が何一つとして残らないことに気付いて。
情けない。
何を恐れたというのだろう。
とにもかくにも、私は再び、ガラス瓶を机の奥深くにしまった。
あとで変質したりして、ね。

裾がスカートだしなんとなくスースーして落ち着かないのでタイツを履くことにした。
「ありがと、お母さん」
麻痺側のある足だけでなく、左足まで持ち上げて履かせてくれる母に礼を言うと、「明日からどうするの」と返された。
「なんとかするよ。踝ソックスなら一人でも履けるからそれにするし」
「そう?」
母の目線が胸元にいく。
「要望通り、下着は全部カップ付きキャミソールにしたけれど、」
胸元から……ワンピースまで視線が動いた。
「その服、大変じゃない? 出来なかったら隣の部屋の人にでも手伝ってもらいなさいよ。寮生活なんだから」
「大丈夫、大丈夫~。じゃ、あとは自分で出来るから出てっていいよ」
ここへきて、いろいろとぐちぐち言われるのも嫌なので追い立てるように母を部屋から退出させた。
足首から上は自分で上げることが出来るから、丸まってる黒いタイツを掴んで交互にあげていく。
そして立ち上がり、ドレッサーの前。
一番上のボタンを止めて、改めて鏡に映る自分を見る。
昨日、差出人不明で届いた荷物。
包装を解くと一着の服があり、時真学園に行く時に着用するようにと手紙まで添えてあった。
濃紺と茶のシンプルなワンピース。
肩先はパフスリーブで、胸元はツーピースタイプ。
全体的にデザインは可愛いけど色がな……いえいえ贅沢を言っては駄目か。
そうこうしているうちに、ドアの向こうで母が私を呼ぶ声がし、私はベッドの上に置いてあったバッグを肩にかけた。
結局いつもの大きなビニル素材のバッグだけど、着替えと携帯端末と少しのお金とトラベルバスグッズだけなのだ。
漫画やゲームなんて娯楽物は必要ないでしょ。
歯ブラシは七海家に存在自体してないし、帽子や日焼け止めなんかも屋内だから要らない、化粧っ気はゼロだし。
とにかくこれだけで大丈夫だと思うのだ、林檎ちゃんが「身一つで来てもいいですよ」と言うぐらいなんだから。
玄関へ行くと、ゴシックアンドロリータファッションに身を包んだ林檎ちゃんがいて、目が合うとドレスの裾を持ち恭しく頭を下げる。
「わざわざごめんね、手間かけさせて」
「いえ、寧ろこちらの台詞ですわ。巻き込んでしまってすみません」
誰でも良かった。
このアンニュイな日々から連れ出してくれるなら。
とにかく今日から父と母、二人きりの生活を送らせてあげられる。
それだけで満足な心を素直に表に出して、口元を綻ばせ首を横に振れば。
「東條さん、ありがとうございます」
お母さんの声がして私はその方を向いた。
「それじゃ、行ってくるね」
もしも可能なら、契約終了の日に、この間調べた施設の人に時真学園まで迎えに来て貰おう。
するとこれが最後になる訳だけど、それもいいかなと思ったりして。
笑顔を見せる私とは反対に、お母さんは心配げな顔で。

そのまま私が乗った車を見送る最後まで、お母さんの笑顔を見ることはなかった。
少し惜しい……かもしれない。
不意に林檎ちゃんは道端に車を止め、レイさんを運転手と交替させた。
それにしても林檎ちゃんが乗ってきた車は、車種は海外のもので国内のワゴンより大きいにしろドラマとかでよく見る金持ち特有の、無駄に座席数があるハイソカーじゃなかった。
(降りてきた人の格好は、一般車両に乗る人のそれではないが)
「あ……」
入れ替わりで後部座席に乗ってきた着流しの男に目が留まる。
私の隣に座る林檎ちゃんが笑ったような気がした。
「みゆ様、クラウスの方にいつも着せてましたよね? 久登も似合うか、気になって」
常盤色の長着に身を包む彼は、やはり金色の髪と青い瞳のせいか、ちぐはぐな気がした。
「いつものロングコートの方がいーけどなぁ……」
心の中の呟きが声に出ていたようで、はっと口元を手でおさえたが。
林檎ちゃんは何も言わず、久登さんもただ目を伏せただけで。
しょうがないから一人ごまかすように笑って、林檎ちゃんの後ろのスモークガラスから見える外の景色に目を向ける。
車の一番後ろのシートに座る私の左隣は林檎ちゃん。
体の横にだらんと置いた右腕の方に久登さんが座っている。
麻痺側のおかげで久登さんを意識しないですむ……なんて言い方は少し語弊があるかもしれないが、私のそんな緊張はわりとすぐに吹っ飛んだ。
「……林檎ちゃん?」
左脚にさわさわとした感覚を覚え、見ると林檎ちゃんの手が私の脚に触れていた。
触れ……いいや、違うぞ。
ちょん、と指先が触れる程度ならまだしも、これは。
手のひら全体でタイツの上から撫で上げる手は。
明らかに怪しいだろう!
「な…何しているのかな?」
ここは年上として優しく問うてみる。
にっこりスマイルに放せと無言オーラをのせたが、林檎ちゃんも同じくらい笑んで。
「わー。みゆ様、ぷにぷにですね」
ツンツンと人差し指を沈ませながらそう言った。
……太い、ってことよね。
うむ。
泣く。
泣くわ。
「林檎ちゃんこそほっぺた柔らかそう」
泣き顔に無理やり笑顔を貼り付けて左手を伸ばす。
白い肌は見た目以上につるつるもちもちとしていて、10代っていいなぁとつくづく思った。
――しかしそんなのんきな羨ましさも。
「え~? そんなことないですよぉ」
妖しく微笑んだ彼女の手がタイツの上を上がっていったのでいよいよ表情が凍りつく。
林檎ちゃんは頬撫でる私の手を掴むとそのままに、タイツを触っていた手をスカート内へと侵入させてきた。
「ひぁっ!? ちょっ…!」
「……すごい。熱いですね、ココ」
むにむにと下着の上から中心部分を押したあと、割れ目をなぞるように指を走らせる。
「や…やだ、やめてよ…」
ただ撫でられているだけなのに恥ずかしい、くすぐったい、……変な気分。
息が上がってくるのはアレだ、こないだのことを思い出してしまったから。
「林檎様、少しお戯れが過ぎるのでは」
静かだが刺々しい物言いにはっとする。
そうだ、今は久登さんが隣にいるんだ。
意識しちゃダメ、ダメだってば。
妙なことを考えちゃ駄目……!
「あら、久登。あなたも参加したいの?」
「ご冗談を」
「なんだ。つまらない男」
クスリと笑って、林檎ちゃんはそこを一撫でしたあと脚の付け根から太股へと手を滑らせて、スカートから手を出した。
「突然ごめんなさいね。みゆお姉様」
そして両手で私の手を包むと瞳を潤ませる。
「このあとの学園でのことを思うと、どうしても他の誰かが一番にみゆ様に触れるのは許せなくて」
「はぁ…?」
くるくると変わる彼女の変化についていけない。
体を寄せてくる林檎ちゃんに、自然と久登さんの方へ逃げると彼に戸惑うように名前を呼ばれ背中に押し返すような手を感じたが、まぁ許しておくれ。
私も嫌なのだ。
「……それと、観てほしいものがありまして」
どこから出したのか小さな端末をいじくった林檎ちゃん。
端末を向けた天井部分がぱかりと開き液晶画面が出てくる。
ぷちん、と音がしたあとカラー映像が映し出された、テレビだろうか。
「私の義理の姉ですわ」

少女の姿に疑問を抱く前に、横で林檎ちゃんが教えてくれた。
そしてそのあとに見覚えのあるグラサン男が映り、
「(あー…レイさんだ)」
ちらりと運転しているその姿を流し見て、またテレビに視線を向ける。


やがて場面が切り替わり映し出された映像に、吐き気を覚えた。
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