いろんなお話たち
「でもさ、ボランティアって言ったけど、学校の方は大丈夫なの?」
「あ、私普段はアルバイトしてるんです」
火曜日は静かな利用者しかいない為か、小関さんの声がすんなりと耳に入ってくる。
彼女は今織機の方で、綜絖通しをしながら職員の別府さんと話をしていて。
普段はうるさいラジオが電源オフなのはラッキーなんだけどな……。
しかし、この、ただ縫うだけの作業もつまらない。
今日は不調なのか、何度も糸が切れて隅の方に、ちょっとした糸端を集めた塊になってる。
暑さを理由に自販機前に行こうと思ったけど、さっき行ったばかり。
「それでね、息子が短大に行くか四大に行くか悩んでて……」
「そうですねー……やりたいことが決まってるなら専門って道もありますけど、そうじゃないとしても四年制ならある程度の職業選択肢がありますよ」
……あー、大学、の話か。
私も本当はそれを語る立場だったのかもしれないなあ。
「(特別支援の先生が言ったようにそういう道もあったんだ…)」
だけど私は特にやりたいことが無くて、勉強も嫌いで。
それなのにお金かけるのはなんか嫌で。
何も目標がなくてもとりあえず大学に行けば道が開けたかもしれないけど、無理だった。
両親は菫が立派にしてるならそれでいいと、私のことはもうあきらめてるみたいで、私がずうっと家にいても別に怒らないみたいだけど。
私がそれは嫌で、ここを選んだ。
「そういえば小関さん、車は? 免許持ってるの?」
「あ~…あるにはあるんですけど、まだ自分の車、持ってなくて」
「なんて車?」
「アーチです。可愛いので、乗ってみたいなって。あと、ブルーバード…? 青い車に乗ってみたいんです」
ブルーバードエルフ。
知ってるよ。
なんだ……車の趣味まで一緒かぁ……。
私も小さい頃は乗りたいと思ってた。
車椅子でもなんでも免許はとれるんだから、って。
でも、とったらとったでそのあとどうするの?
改造にかかる莫大な費用は、一体だれが負担するの?
小さい頃はわかってたけど、それでもなんとかなると思ってた。
大人になった今ではなんとなく。
……わかってるよ、無理だってことぐらい、さ。
「(……みじめだ)」
足のフレームに設置してあるホルダーから水筒を取り出し、蓋を開けて傾ける。
冷たい水が咽喉を潤し、火照った体が幾分か涼しくなる。
と、訓練室の壁に設置してある固定電話がベルを鳴らした。
近くのテーブルで事務作業をしていた北本さんが立ち上がる。
耳に受話器をあて、すぐに離し、
「別府さん、お電話です」
小関さんと楽しく談笑する職員を呼ぶ。
楽しげなおしゃべりがやんだことに、ほっと息を吐いた。
「………」
自分の手元を見る。
ちょっと針を通しては抜いたりして数センチも進んでいないそこ。
「(こりゃ、今日もダメだぁ)」
眉を下げて口角をつりあげて。
丸めるように布をまとめてキットケースの中に針が付いたまま仕舞う。
ケースも鞄の中に押し込んで。
車椅子のブレーキを外し廊下に出た。

「……麻音さん大丈夫? 辛いんだったらお家に連絡して…」
「大丈夫です。少し腰が痛いだけなんで。帰りまで寝てれば良くなると思うので、少しこのまま横にならして下さい」
電気が壊れる前から明かりのつかない休憩室で、ベッドに移動する際側で見守っていた北本さんにそう告げる。
「そう? まぁいくらでも寝てていいんだけどね? んじゃ、私はもう戻るから何かあったらブザーで呼んでね」
横になった私の体の上に掛け布団を載せ、お休みと言うと仕切りカーテンを閉めていき休憩室を出て行った。
「(あれ……停電中でもブザーは動くんだ?)」
仮病で逃げてきた手前、眠気が訪れるはずもなくもぞもぞと横向いたりする。
「     」
「    」
実はここ休憩室のすぐ隣は訓練室だったりする。
だから小関さんとみんなの楽しく談笑する声が聴こえる。
それが嫌だから今ここにいるのに、バカみたいだね。
『姉さん』
ふと、菫の声が聴こえた気がして閉じた瞼の裏で大人になったあの子を想像する。
きっと小関さんみたいに免許取ったり、素敵な彼と出かけたりするんだろうな。
あの家は出ていくかな、私が心配だからって留まるかな。
ちょっぴりさみしい気がするけれど、
「そうだ…。重荷にならないようにしなきゃ。素敵な彼ができても私を見たら、」
そこまで言って、いいや、邪魔なのはもう一人いたなと存在を思いだす。
「(ルカ・ヴァリス……)」
いつから。
一体、あの二人はいつからあんな関係になったのだろう。
恋人同士なの?
そもそも菫があいつを好きなんて話は一言も、……考えれば考えるほどに眉間には皺が寄り。
布団の中で腕を組んで考えてしまう。
パパもママも何も言わないんだもの、きっと公認なんだろうから別に何も言わないけど。
お姉ちゃんに一言くらい報告くれてもよかったじゃない。
言われても素直に許可なんて出しませんけど。
そうだ。
ビンタ一発くらい、かましてやりたい。
まだ間に合うよね?
菫にはヴァージンロードをヴァージンのまま歩いてほしかったんだもの。
勝手な私の願望でもあり押しつけだけど。
それを散らしたあの男の所業はいかんせん、許し難い……!

「ただいま! 菫」
ワゴンの昇降機を下りて笑顔で言った私に、出迎えた菫は驚きながらもどこかほっとした顔をして。
「お帰りなさい、姉さん」
可愛く笑ったその頭を撫でようと思ったが手を伸ばしても届かない位置だ。
とにかく私はご機嫌だった。
「それじゃ、北本さんにも言いましたが木曜日はお休みということでお願いします」
「あれ、栗山さん、明後日は来ないのかい?」
わかったわと答えて車に戻った添乗員さん。
車のドアを開けたまま不思議そうな顔をした運転手さんのように、鞄を受け取った菫の「え」という声が聞こえたが。
一度決めたものを翻すことはなく。
「はい! また来週、お願いします」
お腹と太ももがくっつくぐらい上体を曲げて、去るワゴンを見送った。
門が静かにしまっていくなか、
「姉さん、木曜日、行かないの?」
控えめな菫の声がする。
「うん。別に今の作品は家でもできるから、家でやった方が集中できるかなと思って」
「急にどうして……」
「なぁーに。気まぐれでやめた時はいくらでもあったでしょ? 好きな時に行けばいい。うちも向こうもそれで了承してるんだから、それでいいじゃない」
菫は優しくて敏いから、言う時間を与えてはいけない。
考える時間を与える前に。
「早く中、行こう。先に入ってていいよ。今日は私も紅茶が飲みたい気分なんだ。ヴァリスさんに頼んでおいてくれる?」
「……。ヴァリスって、ちゃんと言えるんだ…」
「へへっ。呼ばないのはちょっとしたイジワルだよ」
「姉さん、ルカさんのこと嫌いなの?」
「んー、嫌ってるのは向こうじゃないかなぁ?」
一人で向かうつもりだったのに、結局水道のところまで菫は附いてきてくれて。
小関さんに嫉妬したなんて間違っても言える訳がない。
同じ健常者の菫には。
「姉さん。何かあるようだったら、」
「だいじょーぶ。心配性だなぁ、菫は。あんたはヴァリスさんのことだけ考えてなさい」
私の言葉に、雪のように白い頬を一瞬でトマトのように赤くして。
可愛い……けど、この表情をあの男がさせてると思うと複雑……、けど、やっぱり可愛い。
萌え。
悶々としながら、早く彼を殴り飛ばしたく(現実には不可能)ハンドリムを強く握り締めた。
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