いろんなお話たち
ご飯を食べる気力もなかった。
着替える気力も、歯を磨く気力もなくて。
気付いたら制服姿でベッドに横になったまま、朝を迎えていた。
「……」
小鳥の囀りに、窓から差し込む柔らかな日差し。
ああ、朝だ。
一日の始まりを感じるとともに、心のどこかがリセットしたようなしてないような、妙な気分になる。
昨日は休もうと思ったけど、寝て冷めて冴えた頭の中では。
現実は、そうはいかないってわかってる。
テストが嫌でも、好きな人にフラれて気まずくても、いじめられてても、何が何でも。
子供のうちは学校に行かなきゃならない。
それが義務教育というもので。
「最悪……でも行かないと……」
あのセクハラ教師に会ったら。
今度こそ犯されるかもしれない。
場所が生徒指導室でなくても、例えばすれ違い際に腕を引かれて空き教室に押し込まれたりして。
エロ漫画のような展開を頭の中に思い浮かばせては沈鬱な気分になる。
吐き気がこみあげてくる。
こんな調子じゃ、残念ながら朝ご飯は食べれそうになかった。
「?」
不意に聴こえた、―――コンコン、と窓をたたく音に顔を上げる。
「!」
さらりと流れるパウダーピンクの髪、チェリーピンクの瞳。
「イリヤ……!」
慌てて窓に駆け寄り、鍵を開けて窓を開く。
「おはよう、小織!」
爽やかな朝ね、と微笑むその顔が。
背中の白い翼と、キラキラ照らす朝の光と相俟って天使のようで。
女神のようで。
「うっ…イリヤ…」
みるみるうちに、うるるーと瞳に雫がたまって視界がぼやけた。
「小織?」
「イリヤぁ~!!」
頬に垂れた直後、腕を伸ばして彼女に抱き付いた。
堰を切ったように溢れる涙が止まらず、窓から身を乗り出す形で、イリヤの細い首に両腕を回し、子供のようにわんわん泣いた。

ひとしきり泣いたあとで、イリヤに背中を擦ってもらいながら、昨日のことを話した。
「じゃあ、このリボンが役に立つわね」
ぽん、と私の背中を優しくたたいて。
もう泣かないで、と涙を拭ってくれる。
「リボンが?」
「そうよ。翼の羽を抜いて作ったの。これは魔法のリボン。小織が願ったものならなんでも編み出せる。天上人と地底人は地上の人間と違って魔法が使えるから、だからその魔法を少しだけおすそわけ。身につけやすいようにと思ってリボンにしたけど、指輪でもネックレスでも変化自在よ」
「ねがったもの…?」
「んーとね、例えば空飛ぶ絨毯が欲しかったら空飛ぶ絨毯になぁれって願えば絨毯に変わるわよ。空想でも現実にあるものでも。あなたが願えばそのとおりになるわ。必要なら、小織に化けて二人の小織をこの世界に作ることもできる」
「ええ!?」
私が二人!?
びっくりして、思わず涙が引っ込んだ。
私の肩に手をおきにっこり笑んだイリヤは、するすると髪のリボンを解くと、宙へ放り投げる。
「小織になぁれ!」
イリヤがそう叫ぶと、リボンが白く光り耀き――人の形となる。
「!」
そこに現れたのは私だった。
「えっ…えぇぇ!?」
「ふふふ」
交互に指を指しパニックになる私の横で、イリヤは得意気に微笑む。
リボンの私はきょとん、とこちらを見たあとでにっこりと笑った。

ややこしいからリボンちゃんと呼ぶが、リボンちゃんはどうやら頭が少し弱いらしい。
とりあえず今日はリボンちゃんが登校してくれることになったのだが。
イリヤが出してくれた水晶で見守る。
《おう、潮崎。昨日は悪かったな!》
《先生。いえ、私の方こそ……》
《お詫びにパフェ奢ってやるよ。駅前の、有名だろ?》
《わーっほんとですか? ありがとうございます!》
「ちょ、ちょっとイリヤ、なんか妙なことになっちゃったけど?」
こんな見え透いた嘘に引っ掛かるなんて……。
肩を抱かれても嫌がらないし、駄目だこれじゃあ、と水晶を指差して言うと、イリヤは苦笑しながら
「…大丈夫よ、真っ直ぐ帰ってくるように言ったんだし。信じましょ?」
「…イリヤがそう言うなら…」

そして放課後。
水晶に映し出された映像では、空き教室で迫られてるリボンちゃんが。
『せ、先生!? どうしてこんなっ…』
『クククッ。2度も引っ掛かるお前が悪い』
押し倒されて両手拘束されて。
キスを交わしながら制服が脱がされていく。
『ぁっ…ん、ダメ…っ』
「イリヤあああああ!? なにこれ!? 全然、大丈夫じゃないじゃん!!」
憤怒の顔で立ち上がり、ビシッと水晶を指差すが、イリヤは眉を寄せた少し気難しい顔で水晶を見つめるだけ。
「リボンちゃんが危ない! 助けに行こう!」
「いえ――これでいいのよ」
「なっ何を」
「よく考えて小織。あれは小織じゃないわ。人形みたいなものよ」
「人形って……」
「まぁ、不快なことは不快ね」
ぶつりと音声が切れて映像だけになるが、まぁ映像は詳しく書けない事態になっていた。
心なしかリボンちゃんがさほど嫌でなさそうなのが気になる。
「……でも人形でも嫌だよ。あれは私だもん……」
それにあの変態教師にとっていいように事が運ぶのも納得がいかない。
「それは大丈夫。見て」
イリヤに言われてよくよく見ると、リボンちゃんの顔がぐにゃりぐにゃりと歪み始めていた。
「……あの男についても。二度と淫行出来ないようにするわ」
顔だけでない、体つきも変わり始め。
男がふと顔をあげリボンちゃんを見たときには――目の前には、同じ姿の人間が。
男は口を大きく開け(聴こえないからわからないけど、たぶん叫んでる)絶望に満ちた表情を浮かべる。
すぐに距離を置こうと離れようとしたが、逆にリボンちゃんが押し倒して。
その顔が、二人の男の顔が重なった。
「うっ。おえええっ」
イリヤはその前に、リボンちゃんの姿が完全に男の姿になったときに顔をそらしていたが、私は最後まで観てしまった。
口に手をやり押さえる。
朝ごはん食べていないのに、胃の中空っぽなのに、胃液が食道を這い上がってくる気がした。
……どちらにしろ、あの男だけでなく。
見守っていた私たちのダメージも大きかったです。
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