いろんなお話たち
天上界の塔の中の地下室。
ずらっと並ぶ大きな6つの扉の中で、水の枷で閉じられた碧い扉の中。
部屋の中央にただ大きな泉が鎮座するその部屋で。
泉の上に浮かぶ水晶体の中に一糸まとわぬ姿でいるイリヤと私は対峙していた。
「イリヤ。イリヤは間違ってるよ」
イリヤは胸の前で両手握ったまま、閉じられた瞳が開くことはない。
私の声に返ってくる言葉だって、
【なんで? どうしてそう思うの小織?】
頭の中に直接響いてくる。
音として鼓膜に響かない。
【髪飾りはもう新たな主人を見つけた。貴女以外に、できる人はいないのよ】
「こんなのいらない! 返すから! イリヤ、今すぐそこから出てきて! 水神はイリヤにしか務まらないよっ!」
【大丈夫。今は難しくても、パオラ様、エリ様。みんな貴女を支えてくれるわ】
「……そんなの無理だって……」
翼をもたぬ者。
それだけで注がれる嫌悪・憎悪・奇異・畏怖。
それらの視線を見れば、私がどうなるかイリヤだってわかるくせに……そもそも。
もとはいつもイリヤがしていた髪飾りだったが、今は剣へと変化してしまった、その柄をぎゅっと握り締める。
イリヤに殺してと頼まれた時、すぐにできなかった。
そしたら彼女の背の翼が茶色く変化して、イリヤが真っ白な光の柱に包まれて。
エリさんとパオラさんに阻まれて近づくことができなかった――二人によって、イリヤは水晶の中へ投獄された。
本当は閉じ込めたらしいけど、檻みたいなものだろう。
このまま水晶ごと剣で貫けばすべてが終わるとエリさんは言った。
意味がわからない。
何バカなこと言ってんのさ?
最初から今まで。
出逢った日から今日まで。
私にとっての水神はイリヤで。
彼女以外はありえなくて。
「パオラさん、エリさん、…それにみんなだって、イリヤが水神でいることを望んでる筈だよっ! 私だって…! イリヤに出会えてこの世界のこと知って、イリヤがいたから天上界にも来たいなって思って! まだこれからなのにっ……。もっといっぱい、お話したり遊んだりしたいのにこんなっ――こんなことのために、イリヤと出逢ったんじゃないよッッ!!」
室内中に響き渡るほどの叫び声をあげて、剣を放り投げて、私は部屋を飛び出した。
部屋にはイリヤと私の二人きりだから、誰も私を止める者はいなかった。
エリさんは二人きりにすることを渋ってたけど、パオラさんが言った。
水神の交代儀式だから、当事者以外部屋にいてはいけない――。
人の波を抜け、長廊を歩いては、階段を上って。
涙で滲んだ視界では、前がよく見えないからうまく目的地にたどり着けるかわからない。
けど、行かなくてはならない。
私が今したいことは、イリヤを殺す事じゃないから。
死をもって交代なんてあんまりだよ!
『新しく神になる者は、以前の神を殺す……?』
『千年ほど前から変わったんだ。神は自由にその座を譲り渡すことができる。源となる物質……水神の場合はその髪飾りを次の者に渡す。その時ほんの短い時間だけど、今の神と次の神と二人の神が存在することになる。不安定な魔力の影響を一番受けやすいのは地上だ。地上人を護るために、神を一人にする必要がある――わかるね? 神は自ら死ぬか、同じ神にしか命を奪えない』
『…どうして千年前からなの?』
『サオリ。君と同じ名の水神がいた。当時は意思を持った妖精が神の源だったんだけど、少女の深い悲しみが神システムそのものを変えたらしい。自害した水神の後を追って妖精も死んだのがいけなかったんだろうね』
『(同じ名前かよ…)で、なんでその子は死んだの?』
私の問いに、話をしてくれた人は『なんでだろうね』と悲しげに笑うばかりで、知ってるなら教えてくれよと思ったが、まぁこれはある意味…自分で調べよという意味だったのかなって。
会話を一通り頭の中に巡らせながら、
『(字が殆どかすれちゃって読めない)しん、おう、……想、届かず、ひとり……地上、……。え。この人私やイリヤと同じ地上人?』
この間こっそり読んだ封じられた古書の内容を思い出しながら、手を強く握る。
爪が食い込むぐらいに。
次元を超える扉があるなら、過去へだって行ける扉があるはず。
それをくぐって、名前が同じ、しかも水神のその人に逢って、歴史を変えられれば!
一体いくつの階段をのぼったりおりたりしたのか。
何回回廊の角を曲がったのかわからない。
とにかくがむしゃらに塔の中を歩いて、途中にある制止の声も振り切って。
現れた扉を開ける――そこは実に不思議な世界が広がっていた。
木枠の向こうは空なのだ。
ただ青と綿菓子のような雲がふわりと漂っていて。
ほんの少し、つま先を前へ踏み出そうとすればすぐにでもまっさかさまだ。
「………」
しょうがない。
他に選択がなかった。
それに名前を忘れたあの人も、
『時空を超えるには、それ相応の覚悟が要るだろうね』
そう言っていたし。
「(よ……よしっ!)」
また元のようにイリヤと笑いあうために。
本当は怖くて怖くて漏らしちゃいそうだったけど、イリヤの笑顔を強く焼き付けて、一歩踏み出した。
――――次に目を開いた時には、ひどい疲れと倦怠感と痛みが体中に去来していた。