いろんなお話たち
……
…
今日は、はるか遠くの国へ。
遠征に出かけていたあの方が帰って来る日。
城の中は普段よりもにぎやかで、使用人たちもそわそわしている。
着慣れているエプロンドレスにそでを通すのも、なんだか特別な気分を感じた。
髪がおかしくないかな、とか頭のカチューシャ曲がってないかな、とかいろいろ気にしてしまう。
使用人には着飾る権利なんてないから、お化粧なんてのはできない。
でも今日は特別だもの。
久しぶりに会えるんだ。
久しぶりの再会だからこそ、少しでも綺麗な自分であの人を迎えてあげたい。
口紅ぐらいは大丈夫だろうと薄く塗る。
メイドを統括している執事の人達だって、それぐらいはわかってくれるはず。
だからとびきりの笑顔で、迎えてあげるんだ。
〝お帰りなさいませ〟―――――――――。
「え……?」
宴が終わって2人一緒に彼の部屋へ戻った。
彼は位が高いから他の兵達と合同の宿舎を使うのではなく、城の中に一人部屋を持っている。
その部屋に位の低い自分が入れるのは――簡単な理由。
彼専属の使用人だから。
お金を稼ぐとかそんな理由で使用人になる人は多いけれど、自分は恩だ。
初めてこの城に来た時、助けてもらった。
彼にとっては小さな恩かもしれないが、彼女にとっては大きな恩。
主人が旅で長期間不在の間も、常に彼の部屋はキレイに掃除。
とにかく何でも返した。
使用人ができることは限られているけれど、それでもなんでも彼のために、と。
そして今は疲れているだろうからと、お茶を…お茶の用意を、していたのだが。
―――――――いらない。
「あ…はい」
手を止めた。
たった一言なのだが、今日はなんだか違う。
別の意味が込められている気がした。
「………」
別の意味……別の意味って、何?
何だろう?
考えていると名前を呼ばれた。
「アイリス」
「はいっ」
ポット、カップ、それらを片づけて彼のもとへ走る。
開け放たれた窓。
夜の闇が広がる外の世界。
その世界から吹く風に揺らぐカーテン……彼は窓枠に肘を置き、外を眺めていた。
お仕えしている身、呼ばれて行って、立つ場所と言ったら、彼の横、空いているトナリ…じゃない。
それでも段違いでも、並んでいるようにはしたくて斜め左に立つ。
…なんて。
まるでストーカーかなにかみたいだ。
ちょっと怖いな、と自嘲して。
振り向いた彼に、スカートの両端を持って頭を下げる。
どんな用だろう?
「おいで」
「はいっ」
言葉に頷いて、元気よく頭を上げて、そこで…ふ、と動作が止まった。
まだ手は、スカートを掴んでる。
言われた言葉がわからなかったわけではない。
ただ、別世界で聴こえた気がして。
…たとえば夢の中とかそんな、現実じゃない宙ぶらりんの世界で。
だからまるで子供のように、きょとんと。
顔の表情は固まったまま、しばらくそこに立ちつくした。
すると、その様子を見て彼は小さく笑い、もう一度、
「来い。今夜は星がよく見える」
確かに、今日の昼間はとても澄んだ、きれいな青空で。
これは今夜の星と月の海も、きれいに見えるんだなぁーと思ってた。
それが、一緒に…見れる?
「は…はぃ」
主人の言葉(命令)は、たとえどんなものであっても、自分を指名してくれたのだ、という感謝を持たなければいけなくて。
主人が、他の使用人を選ばずに、自分を選び、自分の名を呼んでくれる。
それは最上級に幸せなものであって、だからこそ専属の使用人になった時には、真心込めてお仕えしなければならなくて。
主人の言葉は、どんな些細な一言でも……。
「(……うれしい)」
思わず顔に笑顔がでそうになって、なんとか心中でそれを隠して。
彼の隣に足を……赤い顔は、うつむいても、隠せそうにない。
星……せっかく、綺麗だから一緒に見よう、と誘ってくれたのに。
カオ、上げられそうになく。
大きな窓の、枠を掴む。
埃…ないよね?
大丈夫だよね?
…イラナイ所にばかり思考が働く。
やっぱり、恥ずかしいや。
「………」
「………」
「………」
異性の人が横にいて、ドキドキしたのは彼が初めてだった。
男を知らないと言われればそれまでだ。
しかし、彼とはこうして、最低限。
隣にいられれば、アイリスはそれだけで満足だった。
手、つないでとか抱きしめて…なんて、望まない。
だからもっともっと罪深いコトバ、キスしては、とてもじゃないが最初の「き」さえ言えないだろう。
言える機会がこれからあるかどうかは、わからないけど。
「………」
顔だけじゃなくて、体中熱いなか、ドクドクと血の巡りがいつもより速い気がするなか、いつまでも下向いてちゃダメだ、と自分に喝を入れ、顔を上げる。
冷たい風が、冬の始まりを告げた。
でも、冷たさはカオのあつさを、和らげてくれた。
澄んだ青い空なんて、夏の日にしか見れない。
ましてやいつもはオーロラという光の現象が、空を隠しちゃうから。
だから朝から〝何も現れない〟今日の青空は、珍しくて…。
今日は、幸福な日。
ハッピーデー。
彼も、怪我も何事もなく帰ってきてくれたし……。
国が勝った、という知らせよりもアイリスにはその知らせが一番だった。
「……わぁ」
窓の外。
一面に広がる景色に、感嘆の声が自然とこぼれた。
仕事上、家の中にずっと閉じこもらなければならない人がいると聞いた。
自然の明かり――太陽に、月光に照らされないその人は。
〝人工的〟な灯りとともに1日を過ごす。
外に出たい――たまには星でも、見てみたいな。
そういうとき、どうするか。
そんなときは…あるものを使って、自分のいる部屋の天井を、星と月の世界にするらしい。
プラネタリウム…人工的だけど、でも、癒されるとか。
その時見るのはオーロラも交えた空じゃなく、単純な、月と、星。
アイリスもどちらかというと、月と星だけの空のほうが好きだった。
「………」
近い星は、明るく。
遠い星は、少し控え目に。
光り輝く。
もし月が満月だったら、星の光は負けてしまうけど。
今夜は細い三日月だった。
「(…きれい)」
どうか、今夜は。
いつも人口の灯りだけで過ごす職人さんが。
空を見れますように―――自然の光の下に、いますように。
そう願った。
願ったところで、
「あ…あの、部屋の電気……消しても、いいですか」
使用人が口を出すなど。
してはいけないことなのに。
気づいたら言ってた。
口に出してた。
だってなんか…急に、いやだな、と思ったんだ。
大事な灯り、光だけど、星を見てる今は…なんていうか部屋の電気が、煩わしい。
「…そうだな。消すか」
同意を示した主人に、窓枠から手を離す。
実は、嬉しいんだけど、幸せなんだけど、ちょっと苦しかった、この空間。
ちょっと間をあけることが必要だった。
数秒でも、離れたほうがいい。
「で、では消してきま」
「いや――いい」
動こうとしたところで、彼が軽く首を振り、離れた。
壁にある、電気のスイッチのところまで歩く彼に、隠れてほっと息を吐く。
ドキドキってそう簡単におさまらないんだな…ところで、こういう場合すかさず追いかけて自分でやるのが使用人というものだ。
どんな小さなことでも、ゴミを捨てるとかそういう簡単な動作でも、主人に働かせてはならない。
椅子に座っているならそのまま。
主はそこに居させる。
一定の場所に。
それは当たり前のことだけど、でも彼が「いい」と。
断った時は、アイリスは大人しく待機。
…ここに来て、そんなことを学んだ。
専属の使用人がいるからと言って、そのすべてを使用人に任せることはしない人……それがアイリスの主人だ。
「………」
…室内の灯りが消える。
後ろを見ればただ暗いだけの無の空間が広がっていたが、前(正面)は違う。
月が…星々の光が窓から射しこんで、幻想的な白い光に包まれていた。
「…今晩はよく光るな」
隣に戻ってきた彼が言った。
眩しいほどだ、と。
アイリスは声を出すかわりに頷き、
「……」
「……」
「……」
それから少し、沈黙が続いた。
「……」
「……」
「…故郷の光と似ています」
相変わらず空を見ながら。
少し前の彼の言葉に続くようにして、先に話したのはアイリス。
「小さな村で…街灯が数えるほどしかなくて。でもその分空がよく見えました。ここへ来てからは…夜の星空がよく見えることがあまりなくなってしまって。久々にこんな空………、見ることができました」
淡々と。
無意識のうちに口が喋ってて、ふと思った。
「…初耳だな。お前の昔話は」
今まで、彼に問われても一切話さなかったのに。
「あっすみませ…」
「いや、いい。アイリス、聞かせてくれないか。お前が育った村のことを…」
「…はい」
喜んで頷けなかった。
彼に呼ばれてここへ来たような、さっきのような明るい返事は、できなかった。
城へ来ると同時に、故郷のことは忘れるつもりでいた。
スてるつもりだった。
話せなかった理由は2つある。
1つは、おそらく貴族出身なのだろう、彼に田舎である村のことを話すなど。
元から身分の差は明らかなのに、さらにその幅を広げることになるから嫌だった。
それからもう1つ――――――………。
使用人に隠し事はタブー以前に自分は全てを彼に話してしまうだろう。
置いてきたもの全てを……。
そうしたら、なんて言うのか、…どんな返事がアイリスを待っているのか。
それらを考えたくなかったのだ。
言い訳が許されるとしたら……ごめんなさい、ご主人様。
私、アイリスは貴方を、
「…アイリス…お前は…」
驚いた顔の主人を、見れずに。
アイリスは視界を空から床へと変えていた。
ピカピカに磨いた床……。
彼のためにと、毎日自分が磨く床……こんな月明かりでも綺麗に顔が見れるなんて。
今は自分で自分の顔を見るのも嫌だった。
「大丈夫です。母は良くなったってこの間手紙が届いたんで」
「…そうか、それは良かった。だがもう一人の――――」
それにはすぐ返答できずにいた。
ここへ働きに来た当初の目的。
病気の母を助けたい。
給料は全て母の治療代として送った。
何ヶ月か、何年かかかると思ったけどお給料の額がいいからかすぐに目安としていたおおよその薬の代金に追いついて。
通知はすぐに届いた。
「ありがとう」と母の直筆の手紙も添えて。
良い薬が飲めて、よい治療もできて母は元気になったって聞いた……すると、もうここには用がないことになる。
「…その人も多分、私のことなんか忘れてますよ。もとは親同士が勝手にしたことですし」
それはそうだったらいいな、というウソ。
手紙には〝アノヒト〟の名前もあった。
心配する言葉と、早く帰ってこいって言葉。
自分は忘れようとした、でも相手は多分忘れてない……。
母がよくなったら、確かに村へ帰る予定だった。
でも……。
「だから大丈夫です」
嘘がうまいとか下手とか、それ以前におそらく主人には見破られている。
だがそれでもアイリスは、ウソをつかずにいられなかった。
村に置いてきた人は2人いた。
1人は父が死んでから、女手一つで自分を育ててくれた母。
そしてもう1人はその母の友達の息子。
お互い年も近いし、昔から仲が良かったし、母が直接言ったわけじゃないけど、もうすでに決まってた。
未来の婚約者だ――――申し分のない人だった。
容姿とか、性格とか、平凡な人だけど。
悪い人じゃない。
嫌いじゃない。
現に、母と同じくその人のことは今まで一度も忘れたことはなかった。
でもそこに想いが生まれたことはない―――村にいた時から、今まで一度も。
「なぜもっと早く言わなかった? お前一人村へ帰すなど簡単な」
「いえ…いいんです」
もう、いいんですよご主人様。
心配してくれる貴方の優しさが、今は辛い。
「いいんです」と首を振るのが精いっぱいだった。
「好きです」と簡単に言える身なら。
使用人とその主とか、そんな立場がなかったら。
婚約者とか、そんな……本当に―――――――本当にイラナイ、それらがなかったら。
少しは救われただろうか?