いろんなお話たち
数歩離れて男のあとを歩く。
不意に人気がなくなったところで、男の周囲に銀色の風が渦を巻き始め――次の瞬間には、長身な壮年男性へと姿を変えた。
なんで姿変えたんだろう。
やっぱりチビってこと気にしてるのかな?
立ち止まってぽかんとしていると、
「水神の癖してこんな能力も知らねぇのか」
なかなか渋い声がその広い背中からした。
ムッとしたが何も知らないのは事実なので、追い掛けながら素直に訊くと、意外にもすんなりと風を司ると男は言う。
「風……」
「風は自由だ。何にも囚われねぇからな。――ただ実」
そこまで言いかけてぶつりと言葉を切らすと、男は不自然に頭上を仰いだ。
「いや、なんでもねぇ……忘れろ」
「?」
頭上には地上で見るよりはるかに近く、濃い真っ青な空が天空に広がっている。
ここは天上界。
雲は足元に広がるばかりで、天上に浮かぶことはない。
「それより、いつまでいる気だ? あまり長居すんなよ。ただでさえ厄介な時なんだからな」
「今日一晩だけ見てやるから他行け」、と続けた男に「そんな! 困ります! もう少し! もう少し、お願いします!」と食い下がるのに精いっぱいな私は男の言葉の意味をよく考えていなかった。
それよりも……ね、魔法で服着れるんなら、早く身につけて下さいよ。
「なぁーに、この子? 早織ちゃん、あんたに子守でもさせる気?」
豊満な胸を揺らして私の顔を覗き込む女性。
その長い髪というか体全身から香る強い匂いにウッと吐き気がこみ上げた。
しかし我慢だ。
拳を握ったまま無言を通す。
……居心地の悪い空気を今日は何度も味わうなぁ。
「アリア。てめぇには関係ないことだ。早く帰れ」
「あらヒドイ。さっきまで私達、愛し合ってた仲じゃない」
私から離れ男の下に行き、その首に腕回し顔を近づける女性。
まさか目の前で再開か、と悪趣味な二人に青ざめたがリップ音を立てて男の頬にキスを落とすとすぐに離れた。
女性はちゃんと服を着ている。
「まぁ、仕方ないわね。また今度」
「次はない」
バッグを肩にひっかけ扉に手をかけた女性が動きを止めて振り返る。
「しばらくこいつが一緒に住む。ガキの情操教育上、宜しくないだろ」
「ルフトがそんなこと言うなんて……。私はいいけど、他の子はどうするの?」
「お前が解れば問題ない」
その言葉に、一瞬悲しげな顔したあと、その唇が緩やかな弧を描き。
「水神ちゃん。ルフトと仲良くね」
女性は私にウインクするとドアを開けて出て行った。
え……あれ。
「……私水神だなんて一言も言ってないのに……」
はっとして手の中の髪飾りを見ると、きらりと青い光の帯が走った。
しまっておけ、と男の声がしたので一瞬意味が解らなかったけど、スカートのぽっけに突っ込む。
「違う」
こっちに歩み寄りながら、男の周囲を光が包み姿を変えた。
今度は銀髪の男性。
髪色のせいだと思うけど、一瞬エリさんと重なって見えた。
「なっ、ちょ、ちょっと!」
間合いを詰めたと思いきやその腕が伸びてきて、スカートの中を、私が阻止するよりも早く彼の手に髪飾りが掴まれた。
そのまま、眼前へと突き出す。
乱暴な持ち方に、髪飾りが壊れないか心配になった。
だって一応、元の世界に戻った時にイリヤに返すものだから。
「本当に何も知らねぇみたいだから教えてやる。これは水神の証だ。お前に意思はなくてもな、その存在を知らしめる。わかるか? 今この世界では二人の水神がいることになる。早織の奴が地上におりたおかげで反応は一つだがな……」
「わっ、私は水神になったつもりはないわ! 向こうに置いてきたのに後を追ってきて、勝手に、これに選ばれたの!」
「あぁ? 勝手に…だと?」
不機嫌そうに眉をつりあげた男が、髪飾りを見下ろす。
背中の黒い翼が煌めくと、首から下げた銀色の石が光り輝き始めた。
すると呼応するように髪飾りも光り始め、男の手の中で丸い宝石のような物へと姿を変えた。
手を広げろというので広げると、私の掌の上にそれを落とし。
イリヤのなんだからもっと丁寧に扱ってよと男に抗議しようとしたら、首元に下げたペンダントに男が触れ、同じようにそれも姿を変えた。
「……同業者、もしくは主しかこれに触ることができない。光はお前に反応してる。何がそんなに嫌なのか知らねぇが……諦めろ」
男の手の中で銀色に光る不思議な宝石。
誘われるように指先が触れた。
無機質な固体のはずなのに、なぜか人肌のような温度を感じる。
それでも。
「嘘よ! だって、イリヤが――前の神が生きてるのに!!」
ほぼ悲鳴に近い声をあげた直後、口を手で塞がれて強い力で体を押さえつけられた。
さっき追いつめられた時に壁際に逃げていたのがまずかった。
壁と男の間に挟まれて身動きが出来ない。
睨もうとしたらあまりにも鋭い双眸に、威勢も何もが萎んでしまった。
耳元で一言。
静かにしろと声がしたので、こくこくと頷く。
握り締めていた指を解くようにして宝石を私の手から取ると、男はそれを私の胸元に、
「――――ぁっ…!?」
淡い光を放つ宝石。
押し当てられていたそれが徐々に服の下……体内へと吸い込まれていった。
苦しい。
圧迫するような、異物が入ってくる感覚。
だけどそれは一瞬で、半分ほど――全てが消える頃には、無くなっていた。
目の前で起きた光景が半ば信じられず、男の顔と私の胸元を交互に見つめる。
何。
宝石はどこにいったの。
まさか。
服の上から胸をおさえる。
何かが隆起してるなんてことはなかった。
「……しまうってのは、こういうことだ。いいか、合わせろよ」
子供に言い聞かせるように同じ目線でじっと私を見つめながら言ったあと、拘束していた力が解かれた。
訳が解らず質問しようと口を開いた直後、扉を数回ノックする音がした。
「ルフト。おらんのか、ルフト」
嗄声がする。
老人だろうか。
面倒くさそうに頭を掻きながらドアへ向かう姿を眺めていると、視界の中で無数の青い光が雨のように降り注ぎ。
あっと思った時には地上世界の見慣れた家に変わっていた。
とは言っても私の家じゃないけど。
広いリビング。
廊下の向こうでする話し声。
「急にすまんのう……妙な気配がしたものでな」
声が近いと思ったら、ドアが開いて。
「…おやおや。これは珍しい」
一人の老人が、私と目が合うなり微笑んだ。
すごい。
サンタクロースみたいに長い白髪……。
でもそれよりも目立つのは輝かんばかりに光る純白の翼。
キレイ…。
「言っとくが保護しただけだからな。他意はねえ」
老人のあとから部屋に入った自称・風神の男は今度は少年の姿に。
「なるほどの…それで地上界の建造物を…」
「どっかの誰かさんみたいに泣かれちゃ困るだろ」
「ほほっ。そうかそうか」
私と少年と、交互に見たあとで何やら意味ありげに笑む老人。
「…なんだよ」
不機嫌に眉を寄せる少年同じく、わからないけどなんとなく私もむっとしたりして。
「まぁよい。ギルバートの奴には報告せんよ。……一つ、早織と同じ水神の波動を感じたのが気になるが、」
そこで急に柔らかな表情を消し、私を見る目が訝しむように細まり、顔にこそ出さないがごくりと唾を飲み込んだ。
う…やっぱり神王って…。
風神様助けてと少年の側ににじり寄っていると、不意に老人は背を向けた。
「ルフト。彼女を帰す時に小織の様子も見てきてはくれぬか。事情を知るのはわしらだけじゃからのう」
事情?
首を傾げる私を置いて、老人は「ちゃんと送り届けるのじゃよ」と言うとドアを開けて部屋を出ていく。
「ちッ……めんどくせーな」
少年の周囲に風が巻き起こり筋肉質な色黒長髪男性に姿が変わると同時に、光の雨が降り注いで部屋の景色がもとに戻る。
事情ってなんだろう、訊いてみようかな。
でもどうせ教えてくれないかな。
「……ねえ、風神様」
そう思って私は彼の方を見た。
「……」
「……」
「……ルフト様、気持ち悪いです。お願いだからカメレオンみたいに変化しないで姿固定して下さい」
いや、カメレオンは姿は固定で色だけだ。
その点、この風神様はなんて気持ち悪いのだろうか。
さっきまでは私より背丈小さかったのにいきなりこんな、巨漢って……しかもタイプじゃないし諸々。
「なんでお前に指図されなきゃならないんだ?」
そもそも本当の姿を晒す義理もないと続ける背中の翼が羽ばたいたので、
「? どこか行くの?」
問うと
「ハーヴェイの用を済ませに行ってくるんだよ。後回しにすると面倒だからな」
早織さんのところ。
実はこの時代の地上界に興味があったりして。
「私も連れてって!」
薄くなっていく姿にエリさんのように瞬間移動を使うのだと悟り、慌てて服の裾を掴んだ。
「! ばっ…てめーは家で待ってろって……!」
ひどく焦ったような風神の言葉の意味が分からず、ただ変わる景色に私は。
飛ばされた場所は小さな島だった。
島と呼ぶには少々小さすぎるかも。
白い砂浜が広がるだけの、あとは海に囲まれた小さな小さな海辺。
空には太陽がぽつんと一人きり。
日本じゃない、たぶん外国のどこかだ。
もしかしたら誰も知らないかもしれない孤島。
そこには一人の少女がいて。
「悪い…早織」
同じ名前でも私の手を振り払い、風神様は優しく彼女を呼んで詫びた。
それに少女は首を振って。
「サオちゃん、さっきぶりだね」
にこりと笑む少女は車椅子にのっていた。
子供のように小さな体。
上半身は傾いていて。
むき出しの腕や脚は細く変形している。
変わりたいと言った青髪の少女の言葉を強く理解させた。
「先天性の病気なの。成人しても落ち着かなくて、新しいのが増えちゃって。……ま、そんなことはどうでもいいんだけど」
『どーでもよくないですっ!』
忙しなく少女の周囲を飛んでいた水色の光。
それが目の前まで飛んでくると、人差し指をこちらに向けて何やら怒った表情で、
『あなた、』
「ウンディーネ」
強い声にピタリと妖精の動きが止まった。
「(うん? それが妖精の本当の名前?)」
『さ、早織様』
「いいんだよ。いいの」
振り向いた妖精に首を振った少女の背後で白翼が広がりー―気のせいか、あの老人より色は灰色で輝きも弱い――青髪青瞳の美少女へとその姿が変わる。
「シルフ。少しウンディーネと遊んで来い」
『……はいはい』
いつからそこにいたのか、小さな銀色の光は水色の光の元へ飛んでいくと、二つの光は遥か上空へ飛んでいった。
「ルフトさん…ありがとう」
微笑む早織さんに何も言わず目を逸らす風神様。
風神様もとい、半裸チビ男。
あれ?
目付き悪いコイツって確か最初の初対面のときに会った、……あっそっかぁ~。
なーるほどね。
「それじゃあせっかくだし、サオちゃん一緒に海に入ろっか」
ぱちんと両手合わせて言う小織さん。
確かにいい天気だしね、気のせいか暑くなってきましたしね。
妙案ですね。
でも
「私水着持ってきてない…」
「仮にも水神が何言ってやがる」
「だから私すいじんじゃないですってば…」
ふと手に違和感があって見ると髪飾りを手にしていた。
「うわああっ!?」
胸の中にあったはずなのに!?
怖! っと砂浜に投げ捨てると姿を消し今度は頭に装着された。
これがなかなか取れない。
外そうと躍起になる私を苦笑しながら見ていた早織さんは
「水着がなくても大丈夫だよ」
と小走りで走りよってきて。
私の顔を両手で掴んで顔を寄せて。
「ゴメンね、サオちゃん」
心なしかピンクの頬で謝ると目を閉じてキスしてきた。
「…!?」
なななな、なんで唐突に百合展開!?
ってか唇柔らか!
甘!
いい匂いが……って私はオッサンか!!
「……ぱくぱく」
とかなんとか頭のなかこんがらがってる間に早織さんは離れていた。
金魚のようにだらしなく口を開閉させていると、頭の先からつま先まで全身が水にかぶったように冷たくなって。
手のひらを見ていたら透明な膜が肌の上にできていた。