いろんなお話たち
「ふーん……なんだ。こっちじゃあまりジロジロ見られないや」
そりゃ、たまにチラリとは見られるけど向こうの世界みたいなあからさまに敵意を向けられることはない。
早織さんとルフトが心配性なだけだ。
こっちが堂々と歩いていれば、なんら心配ないじゃん。
ま、確かに……周りはみんな黒い翼を生やした人ばかりだからただの人間の私は浮くけどさ……。
それにしてもやっぱり向こうとこっちは違うのか、ここの地底界はごつごつとした黒い岩肌や大地が広がる世界で。
ところどころで地面から噴き出す炎に気をつけつつ歩かなきゃならなかった。
なんていうか見たことないけど地獄みたいな場所だ。
統治者……ギルバートだっけ。
神王の好きな世界にできると聞いたから、悪魔みたいなゴテゴテ趣味の人なんかな……。
「(でもそういえば、エリさんの地底界まだ見てないや)」
それにしてもあれだ、行けども行けども例えばお店とかレストランとかそういうのが見当たらない。
……そういえば食べる習慣も着飾ることもしないんだっけか。
殺風景だった早織さんの家とルフトの家を思い出し納得する。
歩いているうちに、人気がだんだんとないことに気付いた。
でも、神王が居るだろうお城らしき建造物は見当たらないから大丈夫だろう……おそらく。
「(とか言って、ああいう普通の民家に住んでたりして…)」
ふと、ゴボゴボ……という小さな音を鼓膜が拾った。
誘われるように足を向けると。
「…! うぇっ……」
赤黒い沼が一面、見渡す限りに広がっていた。
ごぼごぼというのは泡立つ音か。
悪人の首でも浮いてそうな不気味で恐い色をしている。
ここの神王は相当イカれてそうだ。
悪趣味丸出しだ。
踵を返そうとしたところで、
「こんにちは」
「!?!?」
まさか話しかけられるとは思っていなかったので、大げさに体が反応してしまい。
何もないのに前へつんのめりかけた。
「ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだけど」
体を支えてくれたので礼を言い、長身のその人を見上げる。
黒い翼と白い翼。
左右で色の違う翼をもつその人は長い髪をゆるく編んで肩にかけていて。
「はじめまして」
笑うその顔は美しい。
おそろしく美形だ。
声が低いから男だろうが(もったいない…)。
「(って、あれ? この人どこかで……デジャヴ?)」
「君、地上人だよね? 何してるのこんなところで? 迷子かな?」
「っ! あー、ちょっと散歩してたんです。道はわかるんで平気です。一人で帰れます」
余計なこと話してぼろが出るとまずい。
ルフトに外に出たことがばれるとまずい。
「それじゃ!」
と片手を上げてさっさと去ろうとすると、
「ね、知ってる? この沼はカモフラージュで、実は映し鏡なんだ。天上界の泉は今の地上界しか映さないけど、これはこの惑星上ならどんな場所でも現在・過去・未来を、ありもしない空想や願望まで映し出す。せっかくだから見ていくといい」
君にも覗き見たい景色の1つや2つあるだろう? と続けた男に、くるりと振り向いた私は。
「………………た、確かに」
とことこと踵を返してしまい。
誘われるがままに、紅い沼を覗き込んだ。
見たい景色……。
とりあえず今は、ルフトがどこにいるか……家に帰っていないだろうか……確認したい。
見ている間に次第にぶくぶくとした泡が消えていき、波紋が見えるほどに赤い水は透き通り。
黒い靄が辺りに立ち込める。
やがて水面に像が表れ始めた。
乱れていた映像はすぐに鮮明になり。
巨大なテレビみたいだ。
「……あ」
1台のベッドがぽつんと中央に置かれた、全体的に白い部屋。
窓一つ。
清潔感のある部屋。
ベッド傍の点滴台などで、病室だとわかった。
【は? あんたなんて呼んでないんですけど。なんでいるわけ?】
『ゴアイサツだな。お前の大事な主を心配して見に来てやったってのに、そりゃないだろ』
【心配? 心配ですって? 心にもないことを――!】
水色の光が渦を巻きながらルフトに向かうと、その前に銀色の光が飛び出して、
【ウンディーネ。少し落ち着いて。……ルフト様も、】
『へいへい。わーってるよ』
頭を掻きながら嘆息するルフトの足元で風が巻き起こる。
風精に宥められながらも、水精は不満そうにぶうぶう文句垂れていて。
『あんま騒ぐと、休んでる主人が起きちまうぞ』
いや、あんたも十分騒がしい原因作ってますけどね。
映像見ながら一人突っ込んでみたりして。
その変身を見届ける。
小柄な背が長身に。
銀髪が黒髪に。
射るような眼差しは青く澄み渡って。
黒衣に身を包んだ……まぁ美形は美形だが、隣の人より少し劣るような。
これといって特徴はない。
青年だ。
【……!】
訝しげに目を細めた風精とは対照的に、水精は瞠目する。
「へー……優しいね、彼は」
ぽつりと聴こえた呟きに横を見れば、美形さんも同じように沼を覗き込んでいた。
やさしい?
ルフトが?
不思議に思いながら映像を眺めていれば、先ほどの騒ぎのせいか、早織さんの瞳が開いていた。
ぼんやりとさまよっていた目が、
『早織』
呼ばれて青年の顔を見る。
ひどく優しい声だった。
響きは同じ名前なのに、特別な音のように感じた。
彼を見た早織さんは、信じられないという風に唇をわななかせ
『ギルバート……さま?』
そう、呼んだ。
え?
「ぎる??」
ギルバート?
なに?
中身ルフトだよ?
外見はギルバート?
ってことは、なに?
あの若者、神王!?
見た目普通の兄さんじゃないか……。
「(騙されちゃ駄目だよ、早織さん!)」
『すみません……。ご心配をおかけして』
『お前が大丈夫ならそれでいいんだ。俺は来たくてここに来ているのだから、気にするな』
眉尻を下げる早織さんに、偽ギルバートは柔らかく微笑むと、そっと手を伸ばし。
頭を、髪を撫でる。
梳くような仕草は、壊れ物を扱うように優しさが滲み出ていて。
「……本物もこんな感じなんですか?」
「ん? うーん…」
言葉を濁す美形さんはさておき。
偽物とはいえ、沼から見る二人の雰囲気はとても。
なんていうか。
「(……嬉しそうだ、早織さん)」
『ありがとうございます…』
気持ち良さそうに目を細めて感謝を述べると、再び目を閉じた。
少しして穏やかな寝息が聴こえるまで、偽ギルバートの手は動いていて。
やがてその姿は風の渦に巻かれ、別の姿に変わる。
【どうしてっ…】
「どうして」
映像の中の泣きそうな声と私の声が重なった。
ルフトの行動の意味がわからない。
無意識にこれ以上は見たくないと思ったからか、映像は薄くなっていく。
「ハーヴェイも悪いやつだよね。本当は、彼女だってわかってる。ギルバートはあの場所には来ない」
横から聞こえた言葉に意味がわからず。
「えっ、あの、それってどういう――」
「カデンツァ?」
私の言葉を遮って聞こえた、正しくは私の声より大きく聴こえた呼び声。
美形さんの肩越しに見えた一組の男女。
「イリ…!?」
長髪美人女性の風貌は、イリヤを彷彿とさせてそう呼びそうになったが、理性をもって飲み込んだ。
違う。
よく見れば、全然、違う。
「珍しいね。夫婦二人で来るなんて」
美人の言葉に、開いた口が塞がらなかった。
ふ…夫婦とな!?
そ、それじゃ、ま、まままままさか早織さんは、人の旦那に恋してるのか…!?
「早織の様子を泉で見ようかと思ってギルバートと二人で来たの。まさか貴方もいるとは思わなかったわ」
ぱくぱくと金魚のように口を開けることしかできない。
「早織ちゃんの様子を? 奇遇だね。僕も今見てたんだ。地上で友達と楽しそうに過ごしてたから、安心するといい」
「近頃、姿を見せに来ないから。元気ならいいのよ」
なぜ、隣の美人さんがそう言ったのか。
まぁ確かに、さっきの映像はまずいかもしれないけど……。
< 53 / 92 >

この作品をシェア

pagetop