CROW

12:義経

「うわ……」

 加奈の仕事部屋は、女物の服の嵐だった。

 とても、義経の身体が収まりそうにない。

 彼女が、そんな服を作り始めたと、パリで母親にちょっと聞いてはいたが、ここまで本格的に作っているとは思ってもみなかった。

 自意識過剰ながら、自分用の服を作ってくれているのでは――この分では、それも夢のまた夢だ。

 窓を閉め、九郎をカゴに戻した加奈は、ようやく少し落ち着いたように、ふぅっと息を吐いている。

「カワイイ服だな」

 服を着込んでいるボディを前に、義経はその色を覗き込んだ。

 そこには、春がいっぱいあふれている。

 彼女は、何の返事もしなかった。

 まず、オーディオの前に行き、中からCDを引っ張り出す。

 対九郎用の、あのCDだろう。

 それをケースに戻した後、次は鳥かごを吊るしている紐からかごを外すと、義経の目の前に持ってくる。

 そんな加奈を、彼は見下ろした。

 いろんな思いが、ないまぜになっている表情で、うっすらと耳たぶが赤くなっている。

 義経は、手を伸ばす。

 鳥かごへ、ではなく――耳たぶへ。

 加奈の身体が、びくっと揺れた。

「サンキュ……わがまま九郎を預かってくれて」

 もう片方の手で、鳥かごを受け取りながらも、義経は耳に触れていた手のひらを、彼女の首に回し――ぐっと引き寄せた。

 ああ。

 これを味わいたいがために、一日早くパリから引き上げてきたのだ。

「もう、ゲスなんて言って、一発食らわすのはナシだぜ」

「冗談じゃ…!」

 囁きに我に返ったのか、加奈が暴れようとする。

「ガガ…ツネ…ヨシーツネッ」

 周囲の喧騒に驚いたのか、九郎がかごの中でばたばたと羽ばたく。

 叫ぶ名前に、彼女はスイッチをひねられるように止まった。

 それに、義経はニヤけが止まらなくなる。

 ヨシツネと呼ぶ――九郎。

「名前…呼んでくれたんだな…オレのいない時に」

 腕の中の加奈が、かぁっと茹で上がるのを感じて。

 嬉しさの余り。

 つい。

 こめかみに、キスをしてしまった。

「あたしが、最初に言葉を教えたんじゃない」

 義経は、もう一度鳥かごを紐に吊るしなおした。

 こんなものを持っていたら、すぐに彼女に追い返されそうだったからだ。

 長居する気か――という視線が飛んでくるが、全然気にしなかった。

 本当に加奈がいやだと思うのなら、もうとっくにたたき出されているはず。

 そうしないということは、いてもいいと、勝手に理解するだけだ。

「オレん家じゃ、しゃべったことないぜ」

 九郎を覗き込む。

 久しぶりの再会がうれしいように、黒い鳥はかごの中を落ち着かなく飛び回った。

「でも、あたしが教えてない言葉をしゃべったんだ」

 反抗的に主張され、義経は考え込んだ。

 自分が、教えていない言葉をしゃべったとなると。

「じゃあ……美春が教えたんだな」

 九官鳥だから、しゃべらなければならない、というわけではない。

 鳥は、鳥だ。

 人の真似をすべきだ、という考えを、義経は持っていない。

 大体、この鳥を飼うのも、義経の家のクセみたいなものだった。

 一人暮らしの美春も、七郎という九官鳥を飼っている。

 実家にいるのは、八郎だ。

 この中で、しゃべるのは実家のハチだけ。

 美春のナナに至っては、ガーと鳴きもしない。

「ずぇったい、お前だ! 彼女じゃない!」

 なのに、まだこの金髪は反論する。

 どうして、そこまで言い切れるのか。

「オレ? んー…一体、なんてしゃべったんだ、こいつ」

 言い切るには、何か理由があるのだ。

 義経は、逆に聞いてみることにしたのである。

「うぐっ」

 すると。

 加奈は、不自然に口を閉じた。

 さっきまでの威勢は、どこへ行ってしまったのか。

 だが。

 代弁してくれるものがいた。

「ガガガ…カーナッカナ」

 九郎だ。

 ぶっ。

 加奈の名前を呼ぶ鳥に、義経はふきだした。

 彼女を見ると、逃げ場を探すようにキョロキョロしているではないか。
 
「な…なるほど……確かに、こりゃ犯人は、オレだ」

 九郎の方を向き直り。

「でかした、クロ」

 ばんばんと、大きな手で鳥かごをはさむようにたたくと、九郎は物凄くびびっていた。

 しかし、彼はとてもとても喜んでいたのだ。

 自分が鳥に聞かせた彼女の名前と、彼女が鳥に聞かせた自分の名前。

 それを、この鳥は覚えたのだ。

 ある意味、二人の思いの集大成のような生き物ではないか。

 思い合っている証拠のように感じられた。

 だから。

「さて……」

 加奈の方を振り返る。

 フランスで、ずっと彼女のことを考えていた。

 そして帰ってきて、九郎づてに名前を聞いた。

 いまの義経は――結構、いろいろ渦巻いているのだ。

 加奈について。

「抱きしめるぞ」

 だから、宣言する。

 彼女の拒むポーズも何もかも、まとめて抱きつぶそうと思った。

 分かっている。ちゃんともう伝わっている。

 加奈は、自分のことを思っている。

 それを自覚したくないだけだ。

「ばっ…!」

 赤くなって、吠えそうになる身体を、ぎゅうっと抱きしめる。

 ほら。

 振りほどかない。

 加奈が本気になれば、彼をボコボコにしてでも逃げられるはずだ。

 その幸福を、義経はしっかりとかみ締めた。

 だが。

 人間とは、欲深い生き物だ。

「ああ…悪い……キスもしたくなった」

 抱きしめていると、それだけでは足りないと、自分の脳が訴えてくる。

 これだけでは、まだ『好き』を味わえない、と。

 とんでもない、とばかりに見上げられる目。

 そう。

 彼女は、見上げてしまったのだ。

 大きく目を見開いて。

「んっ…!」

 びくっと彼女が震えた時には、もう遅かった。

 初めての、加奈とのキス。

 パリでずっと温めていた唇で、ようやく彼女に触れる。

 義経でさえ、頭の芯がぼぉっとしそうだった。

 自分は、本当に彼女を好きで仕方がないらしい。

 自覚させようと思っていたのに、自分が余計に自覚してしまった。

「はぁ…」

 何回も何回も、浅く深く、義経は自分の思いに任せて口づけ続ける。

 だが、あまりに長く、あまりに思いをこめすぎたせいか。

「……っ」

 全身力を失ったように、加奈はがくっと崩れ落ちる。

 慌てて抱きとめて彼女を見ると――真っ赤に茹で上がって、ぐったりしていたのだった。
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