CROW

14:義経

 春になる。

 桜が咲き乱れ――ちまたの名所では、酔っ払いの親父たちが、いまが盛りとドンチャン騒ぎだ。

 しかし、義経はというと、マンションのべランダに、ぼんやり肘でもたれていた。

 遠くにピンクの霞が見える。

「あーあ」

 つい先日まで、ポスターだの雑誌だの忙しかった。

 今日は、久しぶりのオフだ。

 元々スチールモデルではない義経だが、『YOKO』と専属契約を結んでいるため、そういう仕事も回ってくる。

 そして、この四月。

 彼は、専属契約を延長していた。

 つまり、また来年の三月まで――

 そのせいで、ついついそんなつまらないため息を漏らしてしまったのだ。

 加奈が、自分を引き抜きにかからない以上、義経は『YOKO』との契約更新に何の異議があろうはずがない。

 ラプンツェルにでも、なった気分だ。

 塔の上から、王子様よ、早く来い来いってなもので。

 くるだけで、彼は無理やりにでも加奈を、塔のてっぺんまでひっぱり上げるだろうに。

 加奈王子からの連絡は、ぱったりと途絶えていた。

 元々、連絡マメどころか、義経にはめったに連絡なんかしてこない。

 彼の方からコナをかけなければ、声を聞かない日々が続くのだ。

 便りのないのが、よい便り。

 なんてことわざは、どこまで本当か怪しい。

 昨日、それを思い知った。

 何度電話をかけてもいない加奈にしびれをきらして、その母に動向を聞いてみると、とんでもない答えが返ってきたのだ。

『あぁ、あの子…うちを出てったわ』

 話題に、猛烈に不機嫌になった洋子は、彼を睨み上げてきて。

『ということは、あなたのところに転がり込んでいるワケじゃないのね』

 と、余計な一言を付け加えて下さった。

 びっくりしたのは、義経だ。

 母親もその行方も知らない状態で――どうやら、洋子と派手にケンカをぶちかまして出て行ったらしい。

 加奈が、母の元で仕事をすることを拒否したらしい。

 彼女は、独自でスポンサーを探そうとしていたし、義経もそれを望んでいる。

 だが、それが洋子の逆鱗に触れたのだ。

 もう娘を、探そうとも思っていないようだった。

『あのバカに会ったら言っといて……二度と、うちの敷居、またぐんじゃないわよって』

 出て行ったのは、もう二ヶ月も前だという――義経が、何度も電話をしていた頃だった。

 加奈が。

 加奈が、自分の意思で行方不明になったのが、ショックと言えばショックだった。

 珍しく、義経はナーバスな気分に襲われながら、暖かいコンクリートのベランダに、頬をくっつけた。

 本当に、あーあ、な気分だ。

 もう少し早く自分を迎えにきてくれるかと思ったが、さすがにそれは無理だったか。

 いろんなことを考えてしまうが、義経の結論はひとつだ。

 要は、加奈の顔を見れば安心する。

 ただ、それだけ、

 いや、キスくらいはしたいな。

 とか、余計な考えがついてくるが、義経はそういう贅沢は一切惜しまない人間だった。

 首を回しながら、部屋に戻って。

 それから、顔をしかめる。

 最近、妹の美春がバイトに来ないのだ。

 おかげで部屋は、少しずつ少しずつ、邪魔なものに占拠されようとしていた。

 こっちも、電話をしても留守番電話ばかりだ。

「なーにやってんだか」

 見えない妹に、小突くような口調で呟くと、義経は電話をとった。

 しかし、出たのはやっぱり留守電だ。

 妹の取り澄ました声が聞こえてきた瞬間、彼は通話を切る。

「……メシでも、食いに出るか」

 電話を眺めながら、義経は車のキーをポケットにねじこんだ。

 地下駐車場から車を出して、彼は風をきって走り出す。

 土曜日の春の街は、妙に騒がしい。

 学生たちが授業を終了した頃なら、なおのこと。

 サングラスに、左ハンドルのオープンカー。

 見えているのは、赤茶けた髪のおかげで、はっきりきっぱり義経は目立っていた。

 もうホロを下ろしても、気持ちのいい風だ。

 ちょうど駅前に差し掛かると、歩道の交通量も増えて――義経は、一番左の斜線を走っていたために、信号が赤で止まると、女子高生の注目の的だ。

「サングラス、はずさないかな」

 騒いでいる彼女らの声が聞こえて、期待に沿おうかと思っていたが、そこまで機嫌がいいわけじゃないからやめた。

 次の信号で、また引っかかる。

 これだから、駅前通りは嫌いだ。

 数珠繋ぎのように、たくさんの信号が並んでいる。

 その左前方。

 少女たちが群れているのが見えた。

 ビルのウィンドウだ。

 何か、面白いディスプレイでも出してあるのだろうか。

 義経は、何気なく通りすがりに、ちらりと横目で見た。

 見た。

 見てしまった。

「……!」

 賭けてもいい。

 彼の人生の中で、こんなにまで驚いたことはなかった。

 あわや、ハンドル操作をしくじって、そのままビルに突っ込みそうになるくらい、義経はびっくりしたのだ。

 それもそうだろう。

 最近音信不通の妹と、こんな街中でばったり出会ってしまうなんて。


 しかも――巨大なピンクのポスターの中に。
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