CROW

18:義経

「こい…義経!」

 加奈のアトリエを訪問したのは、これが二度目。

 しかし、彼女がこんなに熱烈歓迎してくれるとは、思わなかった。

 さっさとカギだけ奪い取られ、蹴り出されると予想していたのだ。

 だが、ものすごい力で引っ張られるや、誰もいない部屋に連れ込まれる。

 大胆だな――義経は、大勘違いをしていた。

 引っ張りこんだら引っ張り込んだで、今度は放置プレイだ。

 彼を置き去りにしたまま、加奈は奥のクローゼットを開けて頭をつっこんで、ガチャンガチャンとひっくり返し始めた。

 どうやら、義経の想像するラブラブ攻撃ではないようである。

「何や…」

 ってんだ――言いたかった言葉を、途中で止めた。

 テーブルの上に、服が放り出され始めたからだ。

 全て男物。

 山積みになっていく。

 その山の向こうで、加奈は自分を見た。

「頼む……着てくれ」

 搾り出すような、声。

「スポンサーを…納得させたい」

 いろんな感情が、せめぎあっている。

 なるほど、と義経は理解した。

 スポンサーのお偉いさんが来ている、というわけか。

 加奈は、そいつにメンズを見せたいのだ。

 だが、マズイことがある。

 義経は、『YOKO』の専属モデルなのだ。

 ここで、彼女の利益になるようなことは出来ない。

 いままでは、プライベートとして付き合ってきたので、問題ないと思っていたが――これは、マズイ。

 頭では、分かっていた。

 自分の顎を、首を、軽く手のひらで撫でて。

 それから、ふぅっと大きなため息をついた。

「…どういうことか、全部承知の上か?」

 ため息の影で、義経は言った。

 加奈は、これ以上はないという神妙な顔で、こくりと頷く。

 全身、覚悟で満ち溢れている。

 義経は、額を押さえた。

 自分をバカだと思った。

 どうして、こんなバカげたことを――断れないのか。

 あー…ったく。

「オレに契約を破らせるんだ……高いぞ」

 唸るように、そう言っていた。

 ※

「カギ…返すぜ」

 助手席に座る加奈の膝に、ぽんとそれを投げた。

 チャリンという音が、車内に響く。

 しかし、彼女はカギを取りもせずに、ぼんやりとしていた。

 義経は、ため息をつきながら腕を伸ばすと、軽く拳でこづく。

 はっと、彼女は顔を上げた。

「カギ」

 ちょいちょいと、指で加奈の膝を指す。

 運転しているので、顔は前を向けたままだが。

「あ……」

 ぼんやりしていた自分を取り繕うように、加奈は慌ててカギをポケットの中にしまったのだ。

 彼女は、アトリエを出て以来、ふさぎこみっぱなしだ。

 契約破りの簡易ファッションショーの結果、スポンサーとやらの返事は。

『もう一度、検討しよう』

 という、実に前向きなものだったのだ。

 そのおかげで、加奈は上機嫌――に、なるはずだったというのに。

「何考えてんだ?」

 ハンドルを握ったまま、義経は言った。

 運転中なので、表情を見ることが出来ない。

 いま、どんな顔をしているのか。

 流れる沈黙を、彼は我慢強く待った。

「ホント、お前に契約を破らせたんだなあ、と…」

 ああ。

 義経は、理解した。

 彼女は、たとえ緊急事態だったとはいえ、母親に借りを作りたくなかったのだ。

 こんな卑怯な形で。

 さっきの件でいえば、義経も片棒を担いだわけだから、共犯なのだが。

 加奈はまるで、激情のまま不倫に走って、我に返ったような様子だ。

 そう考えてしまって、義経はふっと笑ってしまった。

「……何笑ってんだ」

 シリアスに落ち込んでいる加奈には、それが引っかかったのだろう。

 不機嫌な声が、投げつけられた。

 赤信号で、義経はブレーキを踏むと、ようやく彼女を方を向くことが出来る。

 薄暗い車中、彼女の目を探し当てて、義経はこう言った。

「そのまま、何がなんでもオレが欲しいって思ってろ…頭に血が昇ろうが、どんな手を使おうが」

 さっとシートベルトを外して、助手席に身を乗り出す。

 驚いた目の加奈に――唇を押し付けていた。

 車中の口付けは、一瞬だけ。

 後方からのクラクションが、邪魔をしたのだ。

 信号は――青。

 義経は、さっと運転席に身体を戻して、アクセルを踏んだ。

 車では、ゆっくり加奈と話も出来ない。

「オレん家……くるか?」

 こんな状態の加奈を、一人にしたくなかったし――純粋に、二人でいたいとも思った。

 しかし。

「もう遅刻はこりごり」

 と、今朝の問答を甦らせる。

 確かに、自分の家に連れ込んだら、帰宅は明日になりかねない。

 それなら、家に帰すまでに、彼女を普通の状態に戻したかった。

「メシでも食いに行くか?」

 提案にも、ノー。

 もしも、これで一人にして、なんて言われた日には、絶対に義経がノーと言ってやる、と心に決めた。

「でも……」

 そんな彼の心を知ってか、隣がぽつりと口を開く。

「でも……左にウィンカー、出していいぞ」

 随分と回りくどい表現に、義経はえっと思って左前方を見た。

 次の信号の左手には――

「知らねぇぞ…そんなこと言って」

 だが、彼は素直にウィンカーを左に点滅させた。

 後方の車が、ひやかしのクラクションを鳴らして追い抜いていく。

 義経の車は、スピードを落として左に曲がる。

「きっつぅ…」

 駐車場の一番奥に車を止めると、加奈は身体を前方に丸めるようにして、深く呟いた。

 身体の疲労ではない、重い一言。

 表の派手なネオンの看板が、車内を点滅させる。

 加奈が再び顔を上げるまで、義経は黙って待ったのだった。
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