CROW
「ちょい肘まげて……袖丈測るから」

 と言いながらも、背の高い相手の、正しい肩口にメジャーを持っていくのは大仕事だ。

 しかし、大変そうに測るのは何だかシャクで。

 要はまず、肩から肘まで測ればいいんだ。

 そう自分に言い聞かせつつ、よっと腕を伸ばそうとした時。

 さっきまでおとなしかった義経は、ぽんと彼女の肩をいさめるように叩いた。

 採寸のセオリー通り、下着ひとつの彼は腕を伸ばして、近くにあるキャスターつきの椅子を引き寄せて座る。

「いいぜ」

 そして、腕を突き出すのだ。

 視点が逆転して、新鮮な角度で相手を見ることが出来る。

 見上げてくる瞳は、真っ黒で。

 ちょっと細められ、笑っているように感じる。

 しかし、馬鹿にしたような色はない。

 好意からやってくれているのだろうと思うと、ムキに自力でやろうとしていた、自分の子供っぽさに恥ずかしさがこみ上げてきた。

 そういう時に、顔をしかめる表情をしてしまうのが、ヤンキーの名残か。

 相手はプロで。

 そして、自分よりも大人なのだ。

 余計な言葉を吐くことなく、一番効率のいい方法を選んだのだろう。

 本当なら、そういう指示は加奈がしなければならないというのに。

「サ……」

 言いかけた言葉を、彼女は飲み込んだ。

 それ以上言えなくて、息を整えると彼の腕を測り始めた。

 ついでとばかりに肩幅も測る。

「オッケー、立って。胸測る」

 調子が狂う。

 どうもイヤな虫が一匹、背中に忍び込んでいるような気分を振り払えなかった。

 このモデルのせいだ。

 もっと軽薄そうで、傲慢そうで。

 自分がバイトだと知ったら、それこそモデルのプライドで冷たい目をしそうな。

 そんな相手だったら、どんなにマシだっただろうか。

 加奈の方も、相手を馬鹿にしながら扱えるからだ。

 義経のように、黙って目で訴えてくるタイプは苦手でしょうがない。

 腕を、脇から背中の方に回して、メジャーを一周渡らせる。

 厚い胸板に、頬を接触させんばかりだ。

「服、作るんだな」

 身体が一番接触している時に。上から声が降りてきた。

 初めて、まともな文章をしゃべった気がする。

 え?

 中途半端な難しい態勢から、加奈はよいしょと顔を上げた。

 真上にあの目がある。

 今度は前よりも、ちょっと楽しそうな笑みになっていた。
 それでも、表情が優しくなりすぎないのは、眉と目尻の角度のせいか。

 加奈が、ふと動きを止めたのは、その表情のせいじゃない。

 なんとなく、この存在が記憶の糸に触れるのだ。

 この男を、知っているようなそうでないような、微妙な記憶。

 こんなにデカくて赤茶けた頭の男なら、一度見たら忘れないはずなのに。

 しかし、あまりに微か過ぎて思い出せない。

 すぐに記憶を探るのをやめた。

 よくあることだ、と。

 記憶の中の誰かに似ているだけなのかもしれないし、勘違いかも。

 それを振り払いながら、ようやくメジャーの両側を、胸の前に持ってくることに成功した。

「服ねぇ……」

 呟きには、ちょっと自嘲が混ざってしまったか。

「バイトさ、バイト…お金がよくなきゃやんないよ」

 そんな加奈の言葉に、義経は少し首を傾ける。

 宙をさまようような、考える時の瞳の動き。

 しばらくして、ようやく加奈に視線が戻ってきた。

「確かに…いかにも服つくってますって年でも顔でもないな……いくつだ?」

 低くていい声だ。

 いい声すぎて、その喉から生まれる音に、耳を閉じたい衝動にかられた。

「19」

 だから、『採寸で忙しいです』みたいな態度と声音をポーズにして、声にとらわれないようにした。

「高校卒業したばっかか…若いな。高校ん時、何かやってたか?」

 オレは、テニスやってた。

 義経の言葉に、ちょっとムッとした。

 ここで、彼女にどんな答えを求めようとしているのか。

 スポーツなんかやってなさそうな、ひょろっこい身体なのは、一目瞭然だろうに。

 だから、少し八つ当たりめいて── 度肝を抜いてやろうと思って。

 加奈は一度、メジャーを持つ手を下ろした。

 まっすぐに、彼を見据える。

「高校ん時は……ヤンキーやってた」

 ざまぁみろ。

 心の中で舌を出す。

 目を丸くしている義経など、知ったことではなかった。

 ※

 扱いづらいタイプだと思われれば── それでよかった。

「高校ん時は、ヤンキーやってた」

 健康的なテニスで汗を流していたお兄ちゃんなら、ヤンキーとは住む世界も違うだろう。

 今度は、向こうの方が居心地が悪くなって、話しかけてこないに違いない。

 内心ほくそ笑んでいた加奈は。

 しかし。

 自分の浅はかさを知ることとなった。

 義経が、突然大笑いを始めてしまったのである。

 肩を震わせ、おかしくてたまらないかのように。

 びっくりしたのは、加奈の方だ。

「わりぃ…馬鹿にしてんじゃ……なくて」

 笑いを抑えようとしながらも、更に噴出してしまう彼は、まだ加奈を我に返らせたりしなかった。

 急激な変貌過ぎた。

 黙っている時と、そうでない時の雰囲気がかなり違う。

 黙っていると、変に人を見透かすような見つめ方をしてくるくせに。

 なのに今の彼は、何か面白いものを見つけた動物みたいな目だ。

「そうか、ヤンキーか…」

 笑い声の端から、言葉がこぼれ落ちる。

「威張るんじゃねぇぞ。オレも、自慢じゃねぇが、ヤンキーだったからな」

 こいつは、高校ん時から。

 そう言って、義経は自分の前髪を引っ張った。

 ヤンキーのテニス部員。

 うまく結びつかないその組み合わせに、加奈の想像力は破壊される。

 えーと。

 うまく反応を返すことが出来ずに、彼女は呆然としていた。

 えーと…この男……苦手だ。

 とりあえず、顔を歪めてみた。

 自分とペースが違いすぎる。

 速いかと思ったら遅く、遅いかと思ったら突然速くなる。

 調子が狂いっぱなしになるので、さっさと採寸を終えてサヨナラしてしまおう。

 加奈はコメントも返さないまま、よそよそしく仕事の続きにとりかかった。

 その時。

 ノックが聞こえた。
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