CROW
口から心臓が飛び出しそうなほど、びっくりした。
しまった、と。
すっかりカギをかけるのを忘れていたのだ。
出なくていいと言われたが、向こうがそのドアを開けた場合は、逃げようがない。
デザイナーの母親の部屋で、一人でモデルを採寸中。
猛烈なスピードで、言い訳を考えようとする。
どうしても母親が手を離せなくて、たまたま通りかかった自分に押し付けられたとか、そういうことにするんだと。
それを落ち着いて、何事もなかったかのように相手に伝えるんだ、と。
脳内で、ぐるぐると言い訳が渦巻いては消えた。
ノブが。
まわ──
くーーーっ。
加奈は、心の中で勢いよく十字を切った。覚悟を決めようとしたのだ。
が。
ふっと、視界が暗くなった。
えっと思ったら、目の前に大きな背中が立ちはだかっているではないか。
日に灼けた、綺麗な身体。
「失礼しま……キャッ! 羽村くん何て格好!」
「ヨーコさんに採寸に呼ばれたんで用意してただけだぜ……何てカッコはねぇだろ? 別に初めて見るもんでもねぇし」
すっぽりと。
彼の輪郭の内側に自分が隠れている。
角度的に足さえ見えていなければ、まるでわからないだろう。
それほどの体格なのだと、改めて実感する。
「そりゃそうだけど…あれ、センセやっぱ不在か、出直すわ。またね、羽村くん」
ほいほい、またな。
義経がそう答えた後、ドアはパタンと閉じられた。どうやら去っていったらしい。
その後を追うように、加奈から影が消え── ガチャリとカギが閉められる。
「……助かった」
はぁと、彼女は大きなため息を落とした。
それから、ゆっくりと顔を上げて、ドアから戻ってくる男を見ていた。
共犯者みたいな目で、ニヤッと笑う。
あ。
彼のシャープな輪郭や表情が、加奈の中に色を生まれさせた。
色見本のカラーシートをバラまいたような騒ぎだ。
何万色ものグラデーションが駆け抜けていく一瞬。
そして。
立体的な布地に色が流れ込む。
頭の中に弾ける、色色色色の洪水。
眠りの黒。
夏の青。
月の白。
はっと我に返って義経を見たら、もうそんな色の幻覚はどこにもなくなっていて
でも、意識がさっきの出来事に、ひどく高揚していた。
この男に、口止めなど必要ないように感じる。
きっと、彼は何も言ったりしないだろうし、それを逆手に取ったりしないだろう。
さっきの行動が、それを証明してくれた。
さすがに、今度こそ加奈はいわなければならなくなるのだ。
「サンキュ……助かった」
でも、自分の頬に少しばかり余計な空気が詰まっているのは、仕方のないことだ。
今日出会ったばかりの苦手な相手に、借りを作ってしまったのだから。
そして。
あんな幻覚まで、見せられてしまった。
うう。
このまま、何事もなかったかのように採寸を再開するには、不自然なものを感じて止まってしまう。
義経が『ほら』と、また彼女を促してくれればいいのだが。
しかし、彼は指を加奈の方へと伸ばしてきた。
えっと思う間もなく、その人差し指でぷにっと頬を押された。
中にあったわずかな空気が追い出される。
「そんな面倒くさそうなツラばっかすんなよ…まんざらイヤでもねぇんだろ? イヤならそんな知識すら、最初から持ってるわけねぇもんな」
服が作れるって、たいしたもんじゃねぇか。
義経は、その指を下ろして。
ぽんっと、肩を。
加奈の肩を、ぽんっと。
彼女は、下を向いてしまった。
随分と子供扱いされた気分もしたし、何より義経は自分の痛いところを突いてきたのだ。
「ふ、ん」
加奈はそれでも、まだ素直に認められなかった。
今日会ったばかりの男に何が分かる、と否定しようとしていた。
すると彼は、やれやれみたいに吐息を洩らして。
その上、気づいたら加奈の耳元まで唇を下ろして囁いてきた。
「寝顔は、あんなに可愛かったのに、な」
バリトンの声が、彼女の腰を砕きそうになると同時に、心当たりのある微かな記憶がダッシュでよみがえってきた。
「な…な…な……」
頭が真っ白になる。
次の言葉が浮かばない。
絶句したまま── 加奈は、ニヤリ男を見つめるしかできなかった。
しまった、と。
すっかりカギをかけるのを忘れていたのだ。
出なくていいと言われたが、向こうがそのドアを開けた場合は、逃げようがない。
デザイナーの母親の部屋で、一人でモデルを採寸中。
猛烈なスピードで、言い訳を考えようとする。
どうしても母親が手を離せなくて、たまたま通りかかった自分に押し付けられたとか、そういうことにするんだと。
それを落ち着いて、何事もなかったかのように相手に伝えるんだ、と。
脳内で、ぐるぐると言い訳が渦巻いては消えた。
ノブが。
まわ──
くーーーっ。
加奈は、心の中で勢いよく十字を切った。覚悟を決めようとしたのだ。
が。
ふっと、視界が暗くなった。
えっと思ったら、目の前に大きな背中が立ちはだかっているではないか。
日に灼けた、綺麗な身体。
「失礼しま……キャッ! 羽村くん何て格好!」
「ヨーコさんに採寸に呼ばれたんで用意してただけだぜ……何てカッコはねぇだろ? 別に初めて見るもんでもねぇし」
すっぽりと。
彼の輪郭の内側に自分が隠れている。
角度的に足さえ見えていなければ、まるでわからないだろう。
それほどの体格なのだと、改めて実感する。
「そりゃそうだけど…あれ、センセやっぱ不在か、出直すわ。またね、羽村くん」
ほいほい、またな。
義経がそう答えた後、ドアはパタンと閉じられた。どうやら去っていったらしい。
その後を追うように、加奈から影が消え── ガチャリとカギが閉められる。
「……助かった」
はぁと、彼女は大きなため息を落とした。
それから、ゆっくりと顔を上げて、ドアから戻ってくる男を見ていた。
共犯者みたいな目で、ニヤッと笑う。
あ。
彼のシャープな輪郭や表情が、加奈の中に色を生まれさせた。
色見本のカラーシートをバラまいたような騒ぎだ。
何万色ものグラデーションが駆け抜けていく一瞬。
そして。
立体的な布地に色が流れ込む。
頭の中に弾ける、色色色色の洪水。
眠りの黒。
夏の青。
月の白。
はっと我に返って義経を見たら、もうそんな色の幻覚はどこにもなくなっていて
でも、意識がさっきの出来事に、ひどく高揚していた。
この男に、口止めなど必要ないように感じる。
きっと、彼は何も言ったりしないだろうし、それを逆手に取ったりしないだろう。
さっきの行動が、それを証明してくれた。
さすがに、今度こそ加奈はいわなければならなくなるのだ。
「サンキュ……助かった」
でも、自分の頬に少しばかり余計な空気が詰まっているのは、仕方のないことだ。
今日出会ったばかりの苦手な相手に、借りを作ってしまったのだから。
そして。
あんな幻覚まで、見せられてしまった。
うう。
このまま、何事もなかったかのように採寸を再開するには、不自然なものを感じて止まってしまう。
義経が『ほら』と、また彼女を促してくれればいいのだが。
しかし、彼は指を加奈の方へと伸ばしてきた。
えっと思う間もなく、その人差し指でぷにっと頬を押された。
中にあったわずかな空気が追い出される。
「そんな面倒くさそうなツラばっかすんなよ…まんざらイヤでもねぇんだろ? イヤならそんな知識すら、最初から持ってるわけねぇもんな」
服が作れるって、たいしたもんじゃねぇか。
義経は、その指を下ろして。
ぽんっと、肩を。
加奈の肩を、ぽんっと。
彼女は、下を向いてしまった。
随分と子供扱いされた気分もしたし、何より義経は自分の痛いところを突いてきたのだ。
「ふ、ん」
加奈はそれでも、まだ素直に認められなかった。
今日会ったばかりの男に何が分かる、と否定しようとしていた。
すると彼は、やれやれみたいに吐息を洩らして。
その上、気づいたら加奈の耳元まで唇を下ろして囁いてきた。
「寝顔は、あんなに可愛かったのに、な」
バリトンの声が、彼女の腰を砕きそうになると同時に、心当たりのある微かな記憶がダッシュでよみがえってきた。
「な…な…な……」
頭が真っ白になる。
次の言葉が浮かばない。
絶句したまま── 加奈は、ニヤリ男を見つめるしかできなかった。