CROW

3:加奈

「うー…」

 加奈は、うなり声を上げながら自分の眉間を押さえた。

 胸の中がもやもやするのだ。

 簡単に言葉にすると── 『面白くない』の一言だったが。

 最近、母親にいいように使われている気がしてしょうがなかった。

 いや、それはまだいい。

 全部お金になると思えば、耐えられないことはない。

 しかーし。

 やたらとあの、モデルの羽村義経がつきまとってくるのは、一体どういうことなのだ。

 あの男が必要なのは、採寸のときだけだ。

 後から考えたら、それだって本当に必要だったかどうか怪しい。

 専属モデルなのだから、その情報なんて最初からあるに違いないのに。

 ただやっと、家での作業を認められたおかげで、妙な気苦労はなくなっていた。

 おかげで、気楽に仕事ができる。

 と。

 思っていたのも束の間。

 ピンポーン。


 悪魔が、来た。

 ※

「へぇ……広いもんだな」

 きょろきょろしながら、後ろから巨体がついてくる。

 加奈の額には、その土地をうめつくすほどの交差点が浮き上がっていた。

 不本意、きわまりなかった。

『ヨーコさんが、いけって』

 インターフォンに出た加奈が聞いたのは、相変わらずオステキな声の羽村義経だった。

 それに返答する間もなく、彼女は手近にあったコードレス電話を取るや、母親の携帯にかけ、一気にがなりたてたのだ。

 玄関側での出来事だったため、親子喧嘩の加奈サイドの声は、見事彼に筒抜けだったことだろう。

 歓迎されていない訪問であることも、気づかないはずがなかった。

 結局、母親に『そろそろ仮縫いでしょ』と、押し切られてしまったのだが。

 作業工程が、自宅のせいかバレバレだった。

 義経と顔を合わせるのが、ごく稀に、くらいだったら、ここまで拒絶反応を起こさずにすんだのかもしれない。

 しかし、この男ときたら、資料や素材を取りにアトリエに行ったときに、めざとく加奈を見つけてくるのだ。

 彼女は忙しい素振りか、不機嫌な表情で追い返すしかできなかった。

『まあいいか、元気そうだし』

 その度に、妙な理屈で加奈の頭を撫でて去っていく。

 彼女にとっては、頭の痛い行動だった。

 母親にだって、撫でられたことがないというのに。

 ったく。

 どかどかと荒い足音で歩きながら、加奈はこの家で唯一の作業場のドアを開けた。

 後ろからは、巨体がついてくる。

 家を建てる時、この部屋を作ると言って母親は譲らなかった。

 丁度、加奈がハサミを握らせてもらったばかりの頃のことだ。

 子供用の安全ハサミじゃない。
 鉄で出来た、重い裁ちばさみ、糸きりばさみだ。

 まだ、小学校にもあがっていなかったのに。

 遊び感覚で使っていた部屋を、いまは仕事として使っている。

 少し、不思議な感覚だった。

 壁はすべてクリーム色。

 床は、冬でもフローリングがむきだしのままだ。

 カーペットなんか引いた日には、糸くずや布くずで処置のしようがなくなる。

 これなら、ホウキか掃除機でがーっと一回りすれば済む。

 ああもう。

 往生際悪く、加奈は内心でうなった。

 覚悟を決めきれないまま、くるりと振り返る。

 珍しそうに部屋を見ている巨人がいた。

 その視線が、一点で止まる。

 唇が、緩められる。

 声はない。

 でも、こう動いた。


『やっぱり』

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