CROW
 何がやっぱりなのか。

 加奈は、義経の視線を追いかけた。

 そこには。

 本縫い前の服。

 一応仮に、ボディに着せていたそれがあったのだ。

 どうしてスーツが『やっぱり』なのだろう。

「随分変わったな」

 不意に、それを言われた瞬間── 加奈は、あっと思った。

 この男は、前のスーツのデザインを見ていたのか、と。

 シャツから、ピンタックというごてごてが消えた。

 中性的な方向を狙っていたのだが、今回、男性的なイメージに切り替えたせいだ。

 その分、襟から前開きの一直線はシャープにして。

 色も、もう一段深い色にした。

「あ、あたしの勝手でしょ…」

 加奈は、すたすたと歩いた。

 スーツを着せているボディに向かって、だ。

 許されることなら、いますぐそれに布をかけて、義経に出て行けと言いたかった。

 要するに。

 無意識にも、この職種にのめりこみかけている部分を見られたみたいで、都合と具合が悪くなったのだ。

 そんなんじゃ…そんなんじゃない。

 ボディのスーツに手をかけながら、彼の方を振り返りもできないまま、わざと鬱陶しそうなため息をついた。

「さっさと、服脱いで」

 ため息も行動も口調も。

 すべて、自分を奮い立たせるためだけのポーズに過ぎなかったが。

 ※

「おー……サイズばっちし」

 仮縫いの糸に気をつけながらも、義経はスーツの腕を曲げて見せた。

 加奈は、というと。

 ボーゼン。

 あんぐり口を開けたまま、ショックとともに彼を見ているしか出来なかった。

 義経は、ショー用の髪型や化粧をしているわけでもない。

 なのに、乱暴に開いたシャツから見える浅黒い肌や、肩で着こなすジャケットには、眩暈がしそうだ。

 予想以上だった。

 予想以上に、服を着られる男だったのだ。

 服に着られるモデルは、たくさん見てきた。

 スチールでそういうモデルを見つける度に、つい笑いがこみ上げてきたものだ。

 多分、さっきボディが着ていたよりも、二倍はいい服に見えるだろう。

 まさしく、デザイナーに挑戦する体だった。

 下手な服では負けてしまいかねない。

 ぐっと。

 加奈は、唇を閉じた。

 また、別のイメージが頭の中を独占しようとしているのだ。

 それを振り払うことなんて出来なかった。

 自分の中の、『欲』という名前が目覚めてしまったのだ。

 そんなバカな、とか── もうそんな言葉では、納得できない波が、義経という存在の力で押しせてくる。

「何か、まずいか?」

 両手を軽く左右に開いて、彼は服をよく見せるようにした。

 糸を気遣って、その動きはとてもゆっくりだったが。

「まずいって…」

 加奈は、まだ満足に口がきけないままだった。

 でも、頭の別の部分は、きちんと働いている。

 肩パッドの厚みを減らそう、とか。ジャケットの脇をもうちょっと詰めよう、とか。

 でも、そんなことよりも何よりも。

 彼女は、もっと唇を強く閉じた。

 自分の中に一瞬生まれた、この男の服を作りたいなんて欲求を、どうやって処分すればいいのか分からなかったのだ。

 怪訝そうに、義経は瞬いて。

 首を斜めにしながら、彼女のほうを見ている。

 髪は、焼け焦げかけた赤茶。

 まつげは長くないけれども、瞳は黒い部分が少し多い。

 だから、動物の目によく似てみえる。

 穏やかにはなりきれない色。

 そんな男に、自分はつかまってしまったというのか。

 これまで加奈が培ってきたプライドとか、生き方とか、そういうものをひっくり返してしまうほど。

 それほど。

 そ、そんなの、そんなの認めないからな。

 最後の抵抗の思いが、派手に心の中を駆け抜けていった。
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