もう一度あの庭で~中学生によるソフトテニスコーチング物語~
それから少しの自由時間を挟んで試合形式の練習が始まった。
自由時間とはそもそも休憩の為の時間であったのだが、翔太には嬉しい誤算が起きた。
自分の練習は選手の為を思って作っているとはいえ、これまでの意図のあやふやな練習に比べては相当に辛いはずであった。
その為に集中力、体力の維持のために設けた休憩時間にラケットを手放す者はいなかった。
なので水分補給もするし、中には座って休む時もあるが自由時間と呼ぶことにした。
「こっそり聞いたよ。ウソも方便ってやつかな?」
テニスコートを囲うフェンスの後ろから声がして翔太は振り返る。
「……長谷川先生」
その声の主は顧問の長谷川であった。
「ウソは1つもついていませんよ僕」
「地区最強の幸大附と技術は変わらない、二週間で勝てるとか」
「それはですね。
中学生なんて地区敗退でも全国制覇でも対して技術に差はないと思います。もしあるとするならば身体を無駄なく動かす才能、本番に力を出し切る才能、そして勝負強さ」
長谷川はフェンス越しに見える少年から痛いほどの寂しさの様なものを感じた。
「それに勝てるとか勝てないとかは練習の濃さ、密度とかと別の次元の話ですから。
僕が教えなくてもいずれ勝つ子は勝つだろうし、僕が教えても負ける子は負けるでしょう。僕はそれをほんの少しでも勝利の確率が上がるように導くだけです」
「ふーん、そっか。
それで君が良いのなら良いけれど……ウズいたりしないのかい?」
それは簡単に分かる、意地悪な 大人の問であった。
「…………」
翔太はわずかに視線を地面に落とす。
そしてお得意の作り笑いで振り向いた。
「今さらですけど練習試合の件、無理を聞いてもらってすいませんでした。
頑張ります、では」
返答の余地もなく翔太はコートの隅へと戻っていく。
長谷川は空を見上げた。
大きな雲が渋滞を作っている。
「言葉は巧みでも逃げるのは下手だねぇ。
また放っておけない生徒が増えちゃったかな」
長谷川はゆっくりと校舎へと戻っていく。
「ハセセン、ばいびー」と言って走っていく女性徒に「ちゃんと長谷川先生と呼べー」と手を振った。
職員室の机の上には七枚の封筒、グシャグシャに丸められた紙くずの山が置いてあった。
それらは全て幸陽大附属中学から長谷川へと届いた手紙であった。
六枚の内容は難しい言葉の羅列による、練習試合の申し込みを断る内容。
紙くずは練習試合の申し込み、強い意思が書き込まれ、何度となく書き直したのであろう、普段よりも筆圧の高い力強い字が並んでいた。
そして最後の一枚には幸陽大附属の顧問の電話番号が添えられていた。
「さ、次の練習試合の相手も探さないとね」
長谷川は封筒全てをきれいにそろえて、引き出しの一番上に置いた。
そして、それと引き換えるように市内の学校の連絡簿を取り出すと受話器を手に取る。
数コールの後に声がした。
「あ、もしもし。
お忙しいときに申し訳ございません。いつもお世話になっております、わたくし新谷第二中学校テニス部顧問の長谷川と申します…………」
部員の知らぬ場所で今日も長谷川の戦いが続くのだった。
全ては自分が関わった生徒に、ほんの少しでも将来の糧になる経験をしてもらうがため。