たったひとりの君にだけ
エントランスにはベテラン警備員の寺脇さんがいた。
相変わらずの爽やかな笑顔だ。
寺脇さん曰く、奴は一度、懲りずにここに来たらしい。
きっと、私がメールも電話も無視し続けた所為だろう。
けれど、既に要注意人物として個人的に排除をお願いしていたから、運よく遭遇した寺脇さんはそのとおり対応してくれたらしい。
手元に写真が一枚だけ残っていた幸運に心から感謝した。
「寺脇さん、お疲れ様です」
「お疲れ、芽久美ちゃん。さっきはわざわざ警備員室にまでチョコレートどうもありがとう」
「いえいえ、ちょっとで申し訳ないですけど」
「いや、嬉しかったよ。妻に自慢出来る」
「大丈夫ですか?隠れて食べて下さいよ~?」
「大丈夫だって。毎年馬鹿にされてるんだから」
からかうつもりが予想外に切なげな瞳に出会い、なんだか家庭での寺脇さんの様子が想像出来てしまった。
そういえば、愛しの娘さんにも邪険に扱われてるって嘆いてたっけ。
思春期の娘と父にはよくあることだからと諦めモードだったけれど、実際には寂しいんだろうな。
すると、掛ける言葉に迷っている私に気付いたのか、寺脇さんは元の明るい笑顔に戻っていた。
「そういえば、芽久美ちゃん、今日は早いね」
「あ、そうですね。たまにはいいかなって。金曜日ですし」
「そうだね。あ、バレンタインだし、何か予定でもあるのかな?」
気を遣ってくれたであろうその質問には、私は笑顔で答えておいた。
20歳以上も離れている寺脇さんは、私と話すときは仕事モードを少しだけ解除してくれる。
いつだって穏やかで優しい雰囲気が漂うから、思わず誰かを彷彿とさせる。
「じゃ、私行きますね」
「気を付けて帰るんだよ」
「ありがとう。寺脇さんも頑張って下さい」
あまり長居してはいけないと思い、軽く会釈してエントランスを抜ける。
真っ赤に引いたルージュは気合いの表れだ。
私は勇み足で駅へと向かった。