たったひとりの君にだけ
そして、ようやく運ばれて来た赤ワインを注いでもらい、私達は早速グラスを傾けようとする。
「何に乾杯する?あ。あれか、ハッピーバレンタインってやつか?」
「まさかでしょ。私、バレンタインなんてどうでもいいし」
「だろうな」
イベント事には興味皆無。
年末のアレに限らずだ。
「けどさ、せっかくバレンタインデー特別コースを予約しといたわけだし、ここは合わせろ」
「勝手に予約しただけでしょ」
「日付が日付だけに客だって空気読むんだよ」
「素晴らしいお気遣いだこと」
「ああ、そうだよ、それにさ、」
何かを言いかけた樹を、恒例の如く眉間に皺を寄せたまま顔を上げて見つめると。
予想外に真剣な瞳と遭遇した。
そして、こう、言葉を紡ぐ。
「……二人で過ごす、初めてのバレンタインだ。それくらい言わせろよ」
重低音が酷く耳に響いた。
即座に言い返せなかった。
悪態なんて以ての外だ。
吸い込まれそうになる。
だから、その前に。
「……わかったよ」
斜め下を見ながら、私は渋々了承する。
樹は珍しく安堵の息を漏らした。
本当にそう、奴の言うとおり。
今日は初めてのバレンタインだ。
同時に、最後のバレンタインとなる。
「……バレンタイン、おめでとう」
グラスが純真無垢な音を立てた。