たったひとりの君にだけ

くだらないメールを一蹴したのは単なる気まぐれだったけれど、二度と電話になんて出るもんかと思っていたくらいだ。
それほどに真剣だとお願いだからわかってほしい。

一向に手を付けずに、私は両手を太股の上に乗せたまま、意識を集中させる。
すると、感化されたのか、樹はフォークとナイフを皿の上に静かに置いた。


「じゃあ、俺がフランスから帰って来るの待ってて」

「樹、わかってるでしょ?そういう問題じゃない」

「じゃあ、どういう問題?」

「茶化さないで。……お願いだから」


奴は黙った。
そして、私は自ら核心に触れていく。

今日は、身包みを剝がされることを、むしろ、剥がれていくことを厭わない。

私は前に進みたい。



「……ごめん」



視線を下に落として、未だ手付かずのオードブルを見つめる。
腕がいいであろうシェフが、視覚でも楽しめるように作ってくれた最初の一品。
そして、鮮度が落ちていくことに申し訳なさを感じつつも、私は口を閉じないと決める。


「……それは何に対しての“ごめん”?」


視界の隅で、樹がワイングラスを手に取ったのがわかった。


「フランスに行かないことに対して?それとも、数々の暴挙に対して?」


その声はいつだって冷静で、語尾は微かに乾いた笑みを含んでいた。

数々の暴挙はそっちでしょと反論したくなりつつも、今日の私はスルーする。
気付かぬ振りをして、私はゆっくりと胸の内を声にする。


「フランスに行かないこともだけど、一方的に別れたいって言って、有無を言わさず去ったこと。……樹の気持ちを蔑ろにしたこと」

「自覚してたんだ?」

「……一応、は」


それでも、いざとなると上手く言葉を紡げなくなるのは。
やはり、後ろめたさというか、自分の過去のバカバカしさの所為なのか。

本当に、最初から自覚していた。

だから会いたくなかった。
別れた相手となんて、二度と会いたくなかった。
自分が悪いとわかっているから、歴代の彼氏には私のことを綺麗サッパリ忘れてほしかった。

会いたくなんかなかった。

だけど。


ただ一人。

神村樹だけはそれを許さなかった。


樹が初めてだった。

時が経って、もう一度会いに来たのは。


「……自分の気持ちを優先して、樹のことなんて気にも留めなかった。言葉悪いけど、どうでもよかった」

「言うねぇ」


投げやりに笑う。
その顔に少なからず寂しさが滲んでいたような気がするけれど、声に出して言うことは出来ない。



「……私は、私が一番だったんだと思う」



自己中という有り触れた単語だけでは済まされない。

微かな表情の変化に気付いた。
綺麗事を言うつもりはない。


私はその心を傷付けて来た。
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