たったひとりの君にだけ

「そんなにアイツがいい?」



一口だけ、私が口内を水で潤したところで、樹は唇を小さく動かした。
ゆっくりと顔を上げると、今まさに、私を射抜こうとする瞳とで出会う。

上品な店、それに見合った客層。
決して邪魔をしないレベルのBGM。
おかげで聞き取れたといっても過言ではない。

そして、驚きの一文字は、私の顔にしっかりと描かれていたんだと思う。


「高階」


聞き返さずとも噛み砕く。
そのワードに、心臓がドキリと反応する。


「高階……下の名前なんだっけ?忘れたけどさ、ってか教えてもらったっけ?」


惚けているのか、本気で忘れているのか。
わかりかねるから必要最低限だけを述べる。


「……充」

「あ、そうだっけ?もう付き合ってんの?」

「付き合ってない」

「で、そんなにアイツがいい?」


自分優位に話を進める気満々で、質問ばかりを繰り返す。
再度、同じ台詞を口にして、否が応でも聞き出すつもりらしい。

私は見透かすような瞳から目を逸らした。


「芽久美、答えろよ」


無言に徹すると決める。


「アイツ、変な言葉喋ってたじゃねえか」


思わず顔をしかめる。


「俺、捨て台詞聞き取れなかったんだけど」


そして、樹は吐き捨てるように言う。


「頭おかしいんじゃねえの?」


ゴクリとワインを飲み干した。
< 330 / 400 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop