たったひとりの君にだけ
「そんなにアイツがいい?」
一口だけ、私が口内を水で潤したところで、樹は唇を小さく動かした。
ゆっくりと顔を上げると、今まさに、私を射抜こうとする瞳とで出会う。
上品な店、それに見合った客層。
決して邪魔をしないレベルのBGM。
おかげで聞き取れたといっても過言ではない。
そして、驚きの一文字は、私の顔にしっかりと描かれていたんだと思う。
「高階」
聞き返さずとも噛み砕く。
そのワードに、心臓がドキリと反応する。
「高階……下の名前なんだっけ?忘れたけどさ、ってか教えてもらったっけ?」
惚けているのか、本気で忘れているのか。
わかりかねるから必要最低限だけを述べる。
「……充」
「あ、そうだっけ?もう付き合ってんの?」
「付き合ってない」
「で、そんなにアイツがいい?」
自分優位に話を進める気満々で、質問ばかりを繰り返す。
再度、同じ台詞を口にして、否が応でも聞き出すつもりらしい。
私は見透かすような瞳から目を逸らした。
「芽久美、答えろよ」
無言に徹すると決める。
「アイツ、変な言葉喋ってたじゃねえか」
思わず顔をしかめる。
「俺、捨て台詞聞き取れなかったんだけど」
そして、樹は吐き捨てるように言う。
「頭おかしいんじゃねえの?」
ゴクリとワインを飲み干した。