たったひとりの君にだけ

無言に身を預けたまま、フォークとナイフを静かに動かす。

魚介も野菜も好きだ。
むしろ、苦手な食べ物はあまりない。

だけど、大好物には叶わない。
今すぐラーメン屋に駆け込みたいという本音は、さすがに胸の中、奥深くに留めておくけれど。


「なぁ、芽久美」


暫しの後の真剣味を帯びた響きに、僅かに身構える。
けれど、恐る恐る顔を上げても視線が交わることはなく。
樹はただ、腕組みをしながら、背もたれに思い切り体重をかけてそこにいるだけだった。

そして、ゆっくりとこう尋ねた。




「俺のこと、少しでも好きだった?」




ハイスピードで空にした皿には、真っ白で何も描かれていなかった。

きちんと味わえなかったことを、今すぐシェフに謝りたい。


「正直に言えよ」


誰と食べていようと、どんな会話をしようと、料理の味そのものが変わることはない。

けれど、感じ方は変わる。

シェフへのせめてもの償いが。
この後出される、こだわり抜いた料理の数々をしっかりと味わうことだとすれば。


私が樹に告げる答えなんてたったひとつだけだ。




「……樹」

「なんだよ」

「私、嘘を吐くことが、今はなんの意味もないような気がする」




脅されている気はしなかった。
ただ、低く掠れた音の中に、思い上がりかもしれないけれど微かな願望が込められているような気がして。

けれど、それ以上に今は。


事実を誤魔化すことが、なんの慰めにもならない気がした。


芯の通った声でハッキリと告げると、樹は僅かに腰を曲げて笑い声を漏らした。


「……ごめんなさい」


私はグラスを空にする。
直後に樹は『それでこそ芽久美だ』と言った。
< 334 / 400 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop