たったひとりの君にだけ
まだ付き合って一週間ですと、悪態をつく気にはならなかった。
隣は未だ騒がしいのに、佑李さんの言葉はしっかりと私の耳に届いていて。
心の中で『仕事しなくていいのか、久瀬直輝』と呟きながら、私は佑李さんに微笑んだ。
「……はい、努力します」
「ふふっ。そうですね、努力って大事です」
恋人より夫婦の方が大変だろう。
素直に受け入れられる理由はそれだけじゃない気がするけれど。
そして、この席に座って少しずつ過ぎる時間の中で、頭を切り替えた私は冷静に問い掛ける。
「……あの、」
「はい」
「大丈夫ですか?お店」
「え?」
「ほら、準備とかあるんじゃないかなって」
長々と付き合わせるのは悪いと思った。
まだ開店して間もない。
いろいろとやるべきことがあるだろう。
けれど、私の予想に反して、佑李さんは右手を顔の前で軽く横に振った。
「大丈夫ですよ。ある程度の仕込みは昨日のうちに終わらせてありますし、お店も大体11時半くらいから混みますので。……お気遣いありがとうございます」
そう言うと、彼女はまた包み込むような笑顔を向ける。
嘘をついているような雰囲気はなくて、私はほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、混む前にオーダー!」
聞こえていたのか、高階充。
突然の横入りに思わず彼にしかめっ面を示したけれど、彼には気に留める様子はなく。
メンタルの強さを披露されたところで、高階君は宣言どおり大声でオーダーをする。
「じゃあ、グラタン2つ!で、コーヒーも2つ!」
「はっ!?」
思わず甲高い声を上げた。
その数を聞けば自分も含まれていると思うのは決して勘違いじゃないはずで。
「もうランチなの?早くない?」
「俺、朝飯食べるの忘れたんで」
だったらひとつでいいじゃない。
「もしかして芽久美さんはお腹減ってませんか?」
「……減ってないことはないけど、まだ11時前だから早くないかなって」
「でも、目の前にすればきっとお腹が鳴りますよ」
自信満々に言う彼の顔には満面の笑み。
有無を言わさぬ雰囲気の中にも彼らしさが垣間見える。
そういえば、キオナのグラタンは絶品だって言ってたっけ。
もしかして、その目的もあってここに連れて来たのかな。
そう思ったら、なんだか急に微笑ましく感じられて、その誘いに乗らないのは失礼な気がした。