あたしの心、人混みに塗れて
「俺はね、運命は信じないタイプなんだ」


蒼ちゃんはパソコンから目を離さずに呟いた。


「神様は信じてるのにね」

「神様は実体があるじゃん。でも、運命ってどう頑張ったって形があるわけではないでしょ? 俺、形があるものしか信じない主義なの」

「……恋とかも形はないけどね」


あと、神様も実体があるなんてわかりませんよ、蒼ちゃん。


あたしはテーブルに置かれているアップルパイを頬張りながら蒼ちゃんの話を聞いていた。


もうすぐ1月。リンゴの季節になって、蒼ちゃんの家から大量のリンゴが贈られてきた。蒼ちゃんは届いたその日にそのうちの三分の一をコンポートにした。それを小分けにしてたまにアップルパイを作ってくれる。


「蒼ちゃんのアップルパイ、全然飽きないから好き」

「ともは正直に言ってくれるから嬉しいね」


蒼ちゃんは一切こちらを見ずにふふっと頬を緩ませた。


アップルパイの中身のみならずパイ生地まで手作りだからすごい。これも蒼ちゃんがまとめて作っておいて冷凍庫にストックしてあるのだ。


「蒼ちゃん、いい主夫になれるよ」

「ありがと。でも、ご飯は奥さんに作ってもらいたいな」

「蒼ちゃんの奥さん、料理がうまい旦那さんの隣で肩身狭いだろうなあ」


蒼ちゃんはあたしの名前は出さなかった。その奥さんになれるのは誰だろうか。蒼ちゃんが思い描く未来の奥さんはあたしではないのだろうか。離れる気はないのに。


もやもやとしたけどそれを口にするのはやめた。未来に不安を抱いても仕方ないのはわかっている。


蒼ちゃんはあたしに背を向けてパソコンでレポートを書いている。その後ろ姿もあたしは好きだ。カタカタとキーボードを打つ音が部屋に響く。


「話は戻して、恋とか愛は自分の心の問題でしょ? 一人で成せるものは信じるの」

「……わけわかんない」


一体何の話をしているんだ、この男は。


今日、蒼ちゃんは面識のない同じ学部の後輩からいきなり告白されたらしい。


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