あたしの心、人混みに塗れて
それからしばらく湯船に浸かって上がろうとしたら、重大なことに気がついた。


いかん、着替えを部屋に忘れてきた。


これが実家や一人暮らしなら素っ裸で部屋をうろうろしても何も問題はないけど、あいにくこの家には同い年の男が住んでいる。万が一を考えたらとてもじゃないけど裸でうろうろしたりはできない。


裸を見られるなんて恥ずかしすぎる。


……どうしよう。


ここにはタオルしかない。不幸中の幸いと言うべきか、今日は大きいバスタオルを持ってきていた。


しばらくその場に佇んで、あたしはもう自棄とも取れる覚悟をしなければならなかった。


わずかに水が流れる音がする。タイミング悪く、蒼ちゃんはあたしの入浴中に食器を洗っていた。


不幸中の幸いとか、全然意味ないじゃんか。


それでもいつまでもここにいるわけにもいかない。


あたしはようやくその勇気を振り絞った。


仕方ない。見られないことを願うしかない。


あたしはため息をついて体にタオルを巻き付けた。早く部屋に戻りたくて、どうしても通らなければならない台所を急ぎ足で通り過ぎた。


部屋に戻って大きく息を吐き出す。蒼ちゃんに見られなかったことに安堵する。


早く着替えようとクローゼットに手をかけた途端、あたしはあっと声を上げていた。


やばい、ここ、蒼ちゃんの部屋じゃん!


あたしの部屋は蒼ちゃんの向かい側の部屋だ。一週間のお触り禁止令を解禁したから蒼ちゃんの部屋に一刻も早く行きたかったのだろうか。


ていうか、どんだけテンパってんだ、あたし!


蒼ちゃんに見られるということばかり頭にあったのだ。実際は別に見られてもこっちが恥ずかしくなるだけだ。何かあるわけではない。俗にいう自意識過剰だ。


ああ、もう、いろんな意味で恥ずかしい。


落ち着け、智子。とりあえず部屋に戻ろう。


そう言い聞かせてドアノブに手をかけた。瞬間にドアが開いて蒼ちゃんと鉢合わせしてしまった。



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