あたしの心、人混みに塗れて
もしかしたら何か事故にでも遭ったんじゃないか。何か事件に巻き込まれたんじゃないか。考えたくないのにそんなことばかりが頭を巡る。


今まで我慢してきたけど、とうとう痺れを切らして蒼ちゃんの携帯に電話をかけた。発信音が続く。焦りが募る。


何度鳴らしたかわからないくらい経って、家のドアが開く音がした。あたしはスマホを耳に当てたまま玄関まで行った。


「蒼ちゃんっ」


家に入ってきたのは紛れもなく蒼ちゃんだった。靴を脱いで歩みを進めていたけど、あたしには気付いていないようだった。


「蒼ちゃん、どこ行ってたの。遅くなるなら連絡くらいしてよね」


あたしが目の前に来て初めて、蒼ちゃんはあたしの存在に気付いたようだった。文句を言うあたしを、目を見開いてじっと見ている蒼ちゃんはどこかおかしいと、この時わかっていた。


「……うん、ごめん。ただいま、とも」


ふっと弱々しく笑った蒼ちゃんの口の端に、黒っぽい塊が付いていることに気付いた。


「蒼ちゃん……これ、血?」


あたしは蒼ちゃんの頬に触れた。蒼ちゃんはひどく冷たかった。よく見ると、額や反対の頬にも赤黒い血がついていた。


「……ああ、ちょっと、喧嘩しちゃって」

「喧嘩? 蒼ちゃん、そういうこと嫌いじゃない」

「やむを得なかったんだよ。俺だって、痛いのはほんとはやだし」

「手当て、しよっか」

「いいよ。かすり傷だから」


そう言って、蒼ちゃんはあたしから離れて自分の部屋に戻った。何となくほっとけなくて、蒼ちゃんの後についていった。



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