Under The Darkness




「……ほんまに? そうは見えへんかったけどな。マジでみぃちゃんは難しいな。どないしたらオレのモンになってくれるんやろ?」


 手にしたチューハイの缶をぺこりとヘコませながら、思い詰めたような顔をする悠宇に、食器を洗おうとしていた手が止まった。


「……なんやの。イヤな感じやね」


 後ろから悠宇が近付いてくるのが分かった。

 私はその場に固まったまま顔を向けることが出来なくて。


「みぃちゃんは告白なんかしたら最後、絶対離れていくやろ?」


 ピクッと肩が揺れた。

 悠宇が溜め息を零したのを背中で感じる。

 私の肩から悠宇の両手が降ってくる。

 私を包み込むようにふわっと後ろから抱き竦められてしまう。


「そんな難しいみぃちゃんの心を掴むには、アイツみたいに先に身体を手に入れて縛るんがええんやろか」


 悠宇らしくない昏く澱んだ声。

 私はスポンジを持ったまま振り返った。


「……アンタ、何言うてんの」


「聞いとった」


 え? と目を見開く。

 悠宇の顔は、真剣な、けれど、どこか歪んだ感情を隠しているように思えて。

 歯の根がカチカチ音を立てるような恐怖に襲われる。

 不安が具現化しそうで、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。



「みぃちゃんの声」



 手にしたスポンジを握りしめた。水道から溢れる水音が、異様に大きく耳へと届く。

 心臓が速い脈動を刻み、目眩のように絶望感が私を包む。



 ……聞かれていた? 


 京介君との行為、全てを? 



 ――まさか。



「切られへんかった。みぃちゃんの声、イヤがってなかった。あんだけ男キライ言うてて、イヤがってたん最初だけで、最後なんて……っ。目の前真っ暗になった。許せんよ、みぃちゃん」


 自嘲するように嗤う、悠宇の昏い声。


 知られた。


 悠宇に知られてしまった。



 理性が本能に侵食されて、人形のように京介君に翻弄され溺れる――私の穢れた姿を。


「ゆ、悠宇」


「オレじゃあかん? オレはみぃちゃんを傷つけん。ずっと、ずっと大事にする。……好きや」


 ぞくりとした。

 それは、嫌いな言葉だから。


『好き』は、嫌い。

 恋愛感情から来る『好き』は、大嫌い。

 私は悠宇の腕を払い、離れた。

 けれど、離れた分だけ悠宇が近付いてくる。

 見たことないくらい真剣な顔をして。



「オレじゃあかん?」



「それは……恋愛感情の『好き』なん?」


 悠宇は哀しげな顔で頷いた。

 その言葉が、私の一番嫌いな、そして、私を傷つける言葉だと知っているから。


「あかん。それはあかん。悠宇は、悠宇だけはその感情を持って欲しないのに!」


 なぜ。

 まるで氷の中にいるように、全身が引き攣り痙攣する。

 間断なく戦慄が私を襲い、カチカチと歯と歯がぶつかり合う。

 今までの心地よい関係が、音を立てて崩れてゆくのを絶望の中感じた。

 抗《あらが》おうと、それを取り戻そうと、私は必死に手を伸ばす。

 けれど、一度手から放れたものは、戻ることはなくて。

 私の中で暴れる煩悶を感じたのか、悠宇は皮肉な笑みを浮かべた。


「しゃあないやん。気が付いたら、もう、後戻り出来んほどみぃちゃんのことが好きやったんやから」


「聞きたない! なんでやの!? 今まで通りでええんちゃうの!?」


「あの男が、その均衡をぶち壊しよった」


 ハッとした。

 凪いだ湖面に幾つもの小石を投じ、波紋を広げた男。

 私を憎しみで絡め取ろうとする存在。


「……京介君?」


「せや。あの男は、本気でみぃちゃんを自分に絡め取ろうとしとる。それがようわかった。うかうかしてたら、みぃちゃん奪われてまう。それは許せん」


 静かな、けれど、憎む強さで言い放つ。

 悠宇の眸には、烈しい焦燥と焦げ付くような嫉妬の焔が渦巻いて見えた。

 顔から血の気が引いてゆく。私はコクリと息を呑んだ。



「オレの女になって?」


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