Under The Darkness



「泣いてるの? 美里さん」




 掠れ気味で、どこか気怠さが漂う男の人の声。

 耳に届いた、ひどく聞き覚えのある懐かしいその声に、私は重い瞼をこじ開けた。


「泣かないで、美里さん」


 ――――夢?


 私、今、目開いてる?

 ちゃんと、開いてるのかな?

 勝手に涙が溢れてしまい、瞬く間に視界がぼやけだす。涙で霞んだ視界は光しか映さなくなる。

 パジャマの裾で涙を拭い、私は声がした方へと顔を向けた。

 カーテンに遮られて、向こう側にいる彼の姿が見えなくて。

 カーテン隙間から、私にのばされる手が見えた。

 私は彼の手を掴もうとグッと腕を伸ばす。

 そして、鉛のように重い身体を引きずるようにして、少しずつ近づいてゆく。

 でも、ベッドから降りようとして、バランスを崩してしまって。

 ベッドから落ちた身体が、べしゃりと床にたたきつけられた。



「……! ……っ」


「ごめんなさい。私はまだ動くことができないんです。この距離が――……、酷く遠い……」


 カーテンの隙間から、私に向かって伸ばされる手。

 その手を掴もうと、私も必死で手を伸ばす。けれど、身体が言うことを聞いてくれなくて。

 しばらく動いていなかっただけなのに、足の筋力がひどく落ちてしまっていて、私はまともに立って移動することが出来なくなっていた。

 落下した体勢のまま、私は必死になって這いつくばり、彼のベッドまで近づいてゆく。

 ほんのわずかな距離なのに、近しい距離のはずなのに。

 彼までの距離がなんて遠いんだろう。

 重い身体を引きずるようにして、ずるずると床を這った。

 そして、やっと彼がいるベッドに手が届く。

 伸ばした手が、彼の掌に触れる。


 その瞬間、彼は私の手を掴み、グイッと自分の元まで引き寄せたのだ。


 身体を引き上げられて、彼の上に重なるようにして抱きしめられる。

 私の頬に触れる、人より少し体温の低い彼の手。

 彼の頬に、唇に、そして、顔全体に、存在を確かめるようにして両手で触れてみる。


 ……夢じゃない?


 またいつもの夢みたいに目が覚めたら、いなくなってない?

 お願いだから、このままいなくならないで……!




 ――――京介君!!





 私は京介君の首に、思い切りしがみついた。

 目の前から消えてしまわないように、決して離さずギュッと――この手で捕えるように。


「……貴女にこうして触れたかった……」


 視界が滲んで、その姿をちゃんと捉えることができない。

 名前を呼ぶこともできない。

 耳元で聞こえる、初めて私が愛しいと思えた男の声……――。 

 京介君は抱きしめる私の顔に唇を寄せ、頬にキスをした。

 唇で、丁寧に――溢れる涙を唇で掬い取ってゆく。

 両方の瞼、おでこ、鼻の頭……京介君の唇は、顔中に移動してキスを落とす。

 まるで互いの存在を確かめるような、そんな口付け。


 そして、京介君の唇は、最後に私の唇に触れた。




 掠めるように触れ、そして、深いものへと変わる。

 胸に沸き起こる甘い感覚に、切ないほどの幸せを感じる。

 また、涙が溢れてしまう。

 京介君の首に手を回し、私はその口付けを受け入れた。

 これは、やっぱり夢なのかな……。

 だったらこのまま、覚めなくていい。



 ――……もう、覚めなくていい。



 私は自分から、口付けを繰り返した。

 唇を離し、また角度を変えて貪った。

 自分から舌を差し入れ、京介君を絡め取って――求めた。


「――はっ……、」


 京介君の髪を指で絡め弄びながら、頭ごときつく抱え込む。


 そして、ずっと――ずっと探していた男の名前を呼んだ。


「……き……ょ」


 一語一語、確かめるようにゆっくりと、


「……け、く……」


 搾り出すように、一生懸命、彼の名前を紡ぐ。

 呼びたかった名前。

 もう一度、口にしたかった名前。


 京介君の名前――――。


「きょ、・・・す、け」


 会いたかった、会いたかった。

 京介君、ずっと、貴方に会いたかったんだよ……!


「美里さん、会いたかった。貴女に会いたかった」


 私の想いと同じ事を言う京介君に、私は嬉しくて。

 本当に嬉しくて、泣きながら笑った。

 ずっと、私は分からなかった。けれど、分かってしまった。



 京介君がいなくなって、もう二度とこの手に触れることが出来ないと思って、初めて、自分の気持ちを知った。




 私、京介君のことが好きなんだ。





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