Under The Darkness
――焼死体。
過去の映像が脳裏に蘇り、ゾッと身体が震える。
お父さんに拳銃で撃たれ、あのまま逃げ出せずにいたのなら、炎にまかれて死んでしまっていてもおかしくはないのかもしれない。
でも、せいせいしたとは思えない。
お父さんが撃った銃弾が原因で、人が死んでしまったなんて思いたくなかった。
正論を振りかざし、苦言など言うつもりは毛頭ない。けれど、お父さんや京介君が起こした行動で、誰も傷ついたり死んだりしないで欲しいと願う私は、きっと彼らからみたら甘いんだろう。
お父さんと京介君が生きる世界は、私が生きてきた世界とは違いすぎて。
ママがお父さんから逃げ出した理由が、私にも少しだけ分かった気がした。
京介君やお父さんは、私に危害が加えられると、常識とはかけ離れた報復をするのかも知れないと思うと、背筋が凍る思いがする。
彼らが何をしたかよりも、彼らが起こした行動で、京介君達が警察に捕まってしまうかもしれない。
そちらの方に恐怖を感じる。
京介君が放った『相応の報いは受けて貰いました』この言葉は、きっとまた、彼らが何か非合法なことを行った事実を示唆しているのだと思い、私はそれを聞かずにはおれなかった。
「京介君……それ相応の報いって何?」
恐々と、小さな声で尋ねてみる。
そうしたら京介君、にやりと人の悪い笑みを浮かべて、
「ふふっ。美里さん、好奇心は猫をも殺すってことわざはご存知ですか?」
それ以上は聞くなとばかりに、脅しをかけてきた。
「……はい、そうやね。もう何も聞きません。ゴメンナサイ」
項垂れるように頭を下げた私は、はっきりと悟った。
任侠《にんきょう》なこの世界に、素人の私なんかが首を突っ込んじゃダメなんだ。
法治国家日本に拳銃があんなに沢山あったのは何故だろうとか、なんでお父さんが拳銃持っていたんだろうとか、深く考えたらいけないんだってわかった。
「わかっていただければいいのですよ」
馬淵家跡取り、二代目・川口組系魁龍会《かいりゅうかい》・次代組長様は、すでにその威厳と貫禄を携えて、にっこりと笑った。
そして、京介君は笑顔を引っ込め、私に頭を下げてきた。
「全ては私が悪かったのです。悠宇などに気を取られ、貴女から目を離してしまったせいで、こちら側のもめ事に貴女を巻き込んでしまった」
真剣な顔で、事件の顛末を私に説明するべく京介君は続けた。
「沢渡会の連中は、同じ川口組に属してはいますが、昔から父とは折り合いが悪かった。蘭奈さんが亡くなった前後に、美里さんの存在がヤツらにバレてしまい、父さんと私の弱点だと知られたことで、今回の事件は起きてしまいました。私を、そして、現組長の父さんを消すために、豪の私怨を利用した。私達に復讐できるとそそのかし、私達を殺害した後、魁龍会を吸収して川口組そのものを乗っ取ろうと目論んだ。捨て駒として豪を利用した沢渡会の汚さには、さすがの私も脱帽です」
ママが亡くなった前後に、私の存在がバレた?
その言葉に引っかかりを覚えた。
私の写真集が発売されたのは、ママが亡くなる1週間前。
もしかして。
写真集を出して、私が世間に露出してしまったから、だから、私の存在が敵対勢力とも言える沢渡会に知られてしまったのだろうか。
そして、事件は起こってしまったのだろうか。
サーッと顔が蒼くなってゆく。
「美里さん、勘違いしてはいけません。貴女に何の咎《とが》はない。全ての責は我々にあるのですから。そんな顔をしないで下さい」
ハッと顔を京介君に向ける。
京介君は『美里さんのせいではない』と、微苦笑を浮かべながら、ゆるりと首を振った。
「大丈夫ですよ、美里さん。こんなことはもう起きません。二度と起こさせない。なぜなら私は、美里さんのために、とても善良なヤクザを目指しているのですから」
愉しそうに微笑む京介君に、私は思わず呆気に取られてしまう。
京介君の怪我も、全ては私を庇ったためのものなのに。
あまつさえ、事件の原因も私のせいかもしれないのに。
それなのに、私に咎はないって言ってくれるの?
京介君は、汚いことは全て自分が被ろうとする。
それがもどかしくて、辛い。
私が彼にとって荷物のような、足枷になっているような、そんな気がして。
一緒にいたら、今後、もっと怖いことが起こりそうで。
私の存在そのものが、彼の身に危険が迫る原因となりそうで。
不安に押しつぶされそうになる。
「美里さん? またそんな顔をする。ここは美里さんが元気に突っ込んでくれると思っていたのに」
「……突っ込んでええの?」
京介君はどこかワクワクした顔で私を見る。
私は苦笑を浮かべて、沈みそうになる気持ちを押し殺した。
「悠宇には負けませんよ。さあどうぞ」
悠宇と張り合おうとする京介君がおかしくて。
思わずプッと吹き出した。
「さっきの。『捨て駒として豪を利用した沢渡会の汚さには、さすがの私も脱帽です』言うたな? 脱帽して敬意を表してどないすんねん。見倣《みなら》いたいみたいな顔して」
ブスッとわざとしかめっ面を作って言ってやる。
京介君、嬉しそうに笑ってて。
それが私も嬉しくて。
さらに続けた。
「しかも善良なヤクザってなんなん? あんなけボロカスになるまで沢渡会の連中ボコってたくせに、どの口が善良なんて言うんやろな」
「私は極道を継ぎますが、貴女が望むのなら、組総出でボランティア活動をすることもやぶさかではありません」
「地域住民がビックリするからそれはやめて!」
私の言葉に、「確かにその通りですね」と、京介君は声を立てて笑った。
京介君が、本当の笑顔を見せてくれていることが嬉しくて。
偽りの仮面ではなく、今は素の顔を見せてくれているのが浮き立つほどに嬉しくて。
胸につかえていた不安が払拭されて、嗚咽が喉元まで迫り上がってきてしまう。
思わず口から安堵の言葉が飛び出してしまった。
「……ホンマによかった、京介君が無事で。こうして笑ろてるのが嬉しい」
京介君、びっくりした顔で私を見る。
次の瞬間、微かに赤く染まった顔が綺麗に破顔した。
「私が死んだと思ってショックを受けたんですね。すいません、寂しい想いをさせてしまって」
そう言う京介君の顔が、情けないほどに笑み崩れていて。
ポワッとしていた頭が一瞬で正気に戻り、私は恥ずかしさに挙動不審に視線を泳がせ、ワタワタしてしまう。
「ちち違うで? 別に淋しないし! 私を庇って死んだとか寝覚め悪いだけやし! 勘違いしたらアカンで!? 血ィ繋がってへん言うたって、わ、私はアンタのもんにはなりませんから!!」
「いいえ。貴女はすでに私のものです。美里さん、顔が真っ赤ですよ。ふふっ。ツンな貴女もデレる貴女も、とても愛らしい」
フフッと笑う京介君に、さらに私の顔が熱くなる。
その時、お父さんがムッとした顔で、私と京介君の間に割って入ってきた。
「いやあ、二人とも仲良くなったものだねえ、クソが。美里ちゃん? 京介とキミは血は繋がってるよ。ちゃんとDNA鑑定書もある。今度見せて上げるよ。実の姉弟は、残念ながら付き合うとか無理だから。腹立つから京介にはどっかの組の娘と番わせてやる」
え、血が繋がってる? 京介君に他の組の娘さんと番わせる?
……ウソだ。
お父さんの言葉にサーッと血の気が引いてゆく。
血が繋がっていないから、私は京介君に自分の気持ちを伝えたのに。
もし本当に繋がっているのなら。
その言葉は言ってはいけない。京介君の想いも聞いてはいけない。
私の中で芽生えたこの想いは、二度と告げることが出来なくなる。
禁忌を犯してしまうことを、それを彼に強要してしまう関係を、私には貫き通す覚悟がなかった。
「父さん、邪魔する気ですか。……約束を反故にする気か。ならば、こちらにも考えがある」
京介君の顔に浮かんでいた穏やかな笑みが一瞬で消え去り、暗殺者もビックリな恐ろしげなものに変わる。
京介君が纏う雰囲気の変化に、肩がビクリと戦慄く。
そんなことなど気にも留めないお父さんは、愉しげな顔でさらに続けた。
「えー、京介は敵に回したくなーい。あ、そうそう美里ちゃん! 京介はね、欲しいものは絶対どんな汚い手段を使っても手に入れる、強引で、しかもかなり粘着質な性格なんだよ。イヤだよね、そんな男。美里ちゃんの写真集の時はなかなか手に入らなくって大変だったんだよ。手に入れるために京介ってば何したと思う? ――ふふ、あのね、」
「父さん? いい加減にしないと、魁龍会の不正、警察に洗いざらいリークしますよ。それに、事実無根な根も葉もない話は止めてくれませんか。……闇夜には気をつけなさい。死にますよ」
京介君が間髪いれずに、恐ろしげな恫喝のセリフで父さんの言葉を遮った。
舌打ち混じりに『死ね』と低く呟いた京介君の顔には、そのことには一切触れるなと拒絶がありありと見て取れて。
私の好奇心が反応してしまった。
「写真集? 私の?」
「美里さんもそこ、反応しないでください」
焦る京介君の耳は赤く染まっていて、それが何だか可愛くて。堪えきれずに噴き出してしまう。
「京介君、写真集、持ってないって言うてたんちゃうかった? え、なに? お父さん教えて」
「……父さん」
言うな。と、沢渡会の連中を叩きのめした時よりも殺気を放ってお父さんを威嚇してるんだけど、やっぱりお父さんは全く気にしてない。
京介君がベッドから動けないって言うのもあってか、お父さん、嬉々として話し出した。
「あのね、事務所経由だと手に入れるのが1日遅くなるからって、直接出版元に乗り込んで、社長室にあった一冊をぶんどって帰ってきたんだよ。スポンサーである自分にも寄越すべきだって言ってね。……まあ、送られてきたものを全部、私が独り占めしてたせいでもあるんだけれどね」
あははーっと暢気に笑う父さんを、横で不穏な殺気を滲ませて睨む京介君。
――――恐っ……。
「……うそ、ありえへん。出版社にまでって」
瞠目しながらも、私は口を掌で覆い隠して肩を震わせた。
「美里さん、声を殺して笑わない。……父さんが全て隠してしまうから悪いんでしょう」
京介君は憮然としながら、まだお父さんを睨んでいる。
「だって、見せたら絶対返してくれないだろう? だから見せなかったんだよ」
「本当に大人げのない人です。父さんは」
いや、そう言う京介君も充分大人げないから、うん。
クールな顔で耳だけを真っ赤に染めた京介君が可愛くて、私はまた笑ってしまう。
「美里さん? しつこいですよ。持ってちゃ悪いんですか。貴女のことが好きだから、欲しいって思うのは当然じゃないですか」
――――ぎゃあっ! 好きって言った! しかも逆切れ!
私はあわあわしながら、目線を不自然に逸らせて、意味もなく壁に掛けられた時計を凝視する。
京介君もお父さんも直視できない。
しかも、血が繋がってるのになんて非常識なことを言うのかと、心臓の悪いお父さんがショックを受けてしまうと、内心戦々恐々だった。