Under The Darkness
シャワーから出た私は、空港内のコンビニで買ったビールを開け、一気に飲み干した。
時間が経って温くなってはいたが、私が今までいた国々では、冷えたビールが飲めること自体少なかったので、特に気にはしなかった。
そして、ビールの空き缶を灰皿にして、またタバコに火をつける。
電気は通ってないから、後数時間で真っ暗だろうな。
タバコを吸いながら、ザンバラに伸びた金髪から滴る水滴を、タオルでワシワシと拭いた。
「……はあ、自宅ってやっぱり落ちつくもんやなあ」
さて、この後どうしようか。
そんなことを考えていると、突然玄関のチャイムが鳴った。
――……新聞の勧誘?
私は無視したまま、銜えタバコで畳の上に横たわった。
――――ピンポンピンポンピンポン
たいがいしつこいな新聞屋……。
むっとした私は、短パンにタンクトップという来た時同様シンプルな格好に、首からタオルを引っ掛けただけという有様で、玄関先へと向かった。
ドアを開けようと手をかけた時、ガチャリと勝手に鍵が開けられ、ドアが開く。
私は唖然とドアに手をかけたまま、外側に引っ張られるにまかせて身体が傾いでしまう。
「……ぎゃあああっ」
そのまま、ドアを開けた男の胸に倒れこんだ。
口に銜えたままのタバコが、ポロッと玄関の白いタイルの上に落ちる。
「な、なんや!?」
私は目の前の男にしがみ付いたまま、視線を上げた。
「――……薄情者」
目の前のその男は、睨みながら私にそう呟いた。
「きょ、京介君!?」
私は呆然とその姿を捉えた。
縁無しの眼鏡を掛け、ダークグレーのスーツに身を包んだ京介君は、以前は無造作に垂らしていた前髪も、今は全て後ろに撫で付けられていて。
一年前に会った時よりも鋭い、切れるような雰囲気を全身に纏っていた。
私は目の前の美しい男を見上げ、ぼうっと見蕩れてしまう。
瞬間、ゾクリとした甘い痛みが、背中から全身に広がった。
見なかったこの一年のうちに、京介君は以前よりもさらに精悍に、男らしくなっていた。
自然と速くなる胸の鼓動に、私は苦い笑みを浮かべてしまう。
京介君は、恨みがましい視線を私に向けたまま、拘束する腕の力を強くした。
「どうして戻るって連絡をくれなかったんですか」
京介君は後ろ手で扉と鍵を閉めて、そのまま私を抱え上げるようにして部屋へと入ってくる。
「ごめんな。……急に帰ることになったから、驚かそ思てな」
咄嗟にそんな言葉が口をつく。
「だったらすぐに電話してください。私の部下がたまたま空港で貴女を見かけなかったら、私は帰国した事を知らないままだった」
「ごめんごめん。でも、京介君、元気そうやな。よかった」
露骨に話を逸らした私に、京介君は何か言いたそうな顔で、むっと私を睨んだ。
「……貴女、本当は私の元に戻る気がなかったんじゃないですか?」
目を眇め、突き刺す様な視線を向ける京介君に、私の胸はまたざわざわと騒ぎ出す。
――――あかん、静まれ。もう昔とは違うんやから。
「……戻るも戻らんも、ここが私のうちやんか」
明るく言う私に、京介君は剣呑に目を細め、真偽を見極めるような、探る目を向けてくる。
「あ、あんな、京介君。私、京介君に聞きたいことがあったんや」
私は、京介君の鋭い視線から逃れるように、慌ててそう切り返した。
「五年前、私を襲った奴ら、3人とも不審死を遂げたって聞いた。豪のおじいちゃんとお父さん、行方不明って聞いたけど、琵琶湖で身元不明の親子の遺体が発見されたんやて。もしかして、彼らが死んだんは、京介君の指示?」
私はじっと京介君の顔を見つめた。
――――決して逸らすことなく。
その表情に浮かぶものが何か、探るために。
「……何言ってるんですか。確かに、豪親子には色をつけて刑務所へ入ってもらいましたが、それ以降は知りません。それに、今、私は弁護士なんですよ。いくら私がやくざの息子でも、父さんの引退後は跡目を継ぐことになっているとしても。人を殺めることなど、この法治国家では安易に出来ませんよ?」
京介君の表情は、変わらなかった。
一瞬目を瞠り、驚きはしたが、後ろめたさとかバレてしまった時の動揺、そんな表情は一切浮かばなかったんだ。
京介君じゃない。
彼らの死は、京介君が原因ではなかった。
――……よかった!
私は、やっと心から安心できた。
京介君はそんな私を見て、優しくふわりと微笑んだ。
「そうやんな! いや、私を襲った奴ら全員、やったから……ごめんな、京介君疑ってもうて」
私は安堵のあまり、その場にへたり込んでしまった。気づかなかったが、よっぽど緊張していたんだろう。
京介君から視線を外し俯いたまま、また安堵の溜息が漏れた。
そのとき、京介君から優しい微笑みがフッと消えたのが、気配で分かった。
京介君を見上げようとした私の視界の端に映ったもの。
それは、俯き安堵する私を見つめたまま、弓なりに唇の端を吊り上げる、京介君の昏い笑み。
「酷いな、美里さん。私を疑うなんて」
けれど、その陰惨な笑みは嘘のように消えてしまい、京介君は偽りではない顔でにっこり笑う。
そして、へたり込んだ私に視線を合わせた。
「でも日本にいなかったのに、どうしてそんなこと知っているんですか? ……誰に聞いたんです?」
「あ、うん、悠宇がな、新聞送ってくれたん。びっくりした」
さっき目の端を掠めた闇色の笑みは、気のせいだったのかと私は首を傾げる。
「悠宇、ですか。……まあ、あの男達も後ろ暗い連中でしたから。私達以外にもたくさん恨みを買っていたのかもしれませんね。でも貴女が気にすることじゃない」
そう言って京介君は、また優しい微笑みを浮かべた。
弟なのに、私よりもずっと大人の雰囲気を漂わせる京介君。
私の知らないその変化に、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……京介君、前よりなんか凄く落ち着いたなあ」
私は背伸びをして京介君を仰ぎ見た。
目の前のこの綺麗な男は、もう私のものじゃない。
まだ見ぬ誰かに、返さないといけないから。
私は覚悟を決めて、切り出した。
―――自分で自分の気持ちに、止《とど》めを刺すために。