Elma -ヴェルフェリア英雄列伝 Ⅰ-
エルマの言葉に、男は小さく笑う。
「でしょうな。……私も妻子のある身。無駄に死にたくはありません」
「そうか。それはよかった」
言って、エルマは男に背を向ける。
そのまま去ろうとしたエルマを、しかし男が「姫」と呼び留めた。
「あなたは本当にルドリア姫か? 姫がそれほどの槍の使い手だと、私は聞いたことがありませんが」
取り繕っても無駄だとは思ったが、エルマは小さく笑うと、
「能ある鷹は爪を隠すものだ」
と、曖昧な答えを返した。
そんなエルマに、男は言う。
「できればあなたの名をお聞きしたかったが、正体を明かせぬのであればこれ以上は訊きますまい。……ただ、あなたに言っておきたいことがある」
「何だ」
「あなたに感謝を申し上げたい」
男の意外な言葉に、エルマは目を見張る。
「近衛隊は王家に忠誠を誓う者。それが我々の誇りです。命令とはいえ、本当は殿下や姫様のお命を奪うなどしたくなかった。私たちを打ち負かしてくださったこと、感謝いたします」
真剣な目をした男の言葉に、エルマはただ、哀しげに笑った。
この誠実な男が、信ずるべき王家によって誇りを踏みにじられそうになったことが、ただただ哀しかった。