Elma -ヴェルフェリア英雄列伝 Ⅰ-
男は思うとおりに動いてくれない腕で、その赤ん坊の産着の端をつかみ、慎重に引き寄せた。
赤ん坊はピタリと泣き止み、真ん丸い目でじっと男を見た。その瞳は燃え上がるような紅の色だ。
「おまえ、名前は、ないのか」
男が切れ切れに問うが、当然ながら赤ん坊は答えない。
答えるわけないか、と息をつき、男は自分で名をつけることにした。
自分はここで死に、その後誰かに見つけてもらわなければ、
まもなく赤ん坊も死んでしまうであろうことはわかっていたが、そうしなければならないような気がした。
「…エル、マ。おまえは、エルマだ」
男は彼の故郷の村に伝わる、古い言葉を赤ん坊に名付けた。
気付けば瞼を閉じていた。
もう開ける気力もない。
そろそろか、と男はぼんやり思った。
薄れていく意識のなか、男は小さな足音を聞いた。
男はその音を、まるで子守唄をきくようにゆったりと聞いていたが、ふいにその音が途切れ、誰かに右の頬を軽くたたかれた。
男は両目をうっすらと開けてみた。目の前に幼い少女がしゃがみこんで男の顔をのぞきこんでいた。
「おじちゃん、大丈夫?」
長い緑の髪が彩る小さな頭をかしげて、少女が訊いた。
男は返事をしなかった。なぜこんなところに幼い少女がいるのだろう、とぼんやり思った。
少女は返事がないのを大丈夫でないと受け取って、くるりと振り向くと、
「ねーぇ!おじちゃんがたいへん!」
と叫んだ。