Elma -ヴェルフェリア英雄列伝 Ⅰ-



 ない、と。

口にしようとした言葉は、そのときふいに思い浮かんだ赤に阻まれて、声にならなかった。


――気がついたのだ。いつの間にか大切になっていた、あの赤。それは、単純に「情が移った」という言葉で片付けられる感情ではないことに、今になってようやく。



(……でも、無理よ)



 自身の思いに気づけたことは、メオラの場合は喜びでもあり絶望でもある。


それは、リヒターを慕っていたフシルよりもずっと、身分不相応な思いだ。



 そういえば、一度ラシェルに言ったことがあった。

ラシェルが腕を失ったあの日、クランドル侯の屋敷で。



――あなた、このままアルの民になってしまえばいいのに。



 考えるより先に出てしまったその言葉は、まぎれもないメオラの本心だった。

ラシェルが王宮へ帰ってしまうのが嫌だった。

王宮へ帰れば、ラシェルは「王子」に戻ってしまう。

手の届かないところへ行ってしまう。



(あぁ、わたしは……もうそんなに前から、あの人に惹かれていたんだ)



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