Elma -ヴェルフェリア英雄列伝 Ⅰ-
エルマはそれを、少し意外に思った。
いつでも仮面のように微笑みを顔に貼りつけているリヒターは、それ故に、笑うという行為と対極にあるように、エルマは無意識のうちに思っていたのだ。
その笑顔に、親しみが湧いたのかもしれない。
「わたしも、どうやらもう引退のようですが」
気づけば自嘲とも皮肉ともつかない言葉が口をついて出ていた。
言ってしまってから、エルマは自分の露骨に寂しそうな声音に、少なからず驚いた。
リヒターはそれに慰めや励ましを与えるでもなく、淡々と、
「次の長は誰がなるんだ?」
と訊いた。
その顔にはもう、感情の読めない仮面の笑顔が戻ってきていた。
「家督を継ぐのは長男、というのが、定住の民の常識なのでしょう?どうやらその点は、アルの民も変わりないようです」
「じゃあ、ラグが次の長になるのかい?」
エルマは頷いた。
「次代の長の決定権はわたしにあります。皆も反対はしないでしょう。ラグが適任だと、わたしは思っています」
そうか、とリヒターが呟くように言った。
そのとき、「族長!」と呼ぶ声が聞こえてエルマが振り返ると、ラグが駆け寄ってくるところだった。天幕が完成したのだ。
「リヒター王子、お待たせして申し訳ありません」
ラグが頭を下げると、リヒターが顔の前でひらひらと手を振って、
「いいよいいよ。いきなりお邪魔したのはこちらだ」
と言った。
「では、参りましょうか」と、リヒターに言って、エルマは歩きだした。
その隣にリヒターが並び、後ろにカーム、最後にメオラが続いた。
ラグとカルは、エルマに命じられた通りに、天幕の周囲に少し離れて立つ。
だが、天幕に入りかかったリヒターがふいに、近くに立つラグを呼び寄せた。
「君は、入ってもいいよ」
その場にいた全員が、きょとんとしてリヒターを見た。
「リヒター王子、何を……」と呼びかけたのは、眉をひそめたエルマだ。
「いやかい?」リヒターがラグに言った。ラグは慌ててぶんぶんと首を振る。
「いやではありませんが……」
ラグは困り顔でエルマを見た。
エルマの判断を伺おうとしているようだ。
これから天幕の中でリヒターが話すのがエルマに関わる問題なので、気を遣ったのだろう。
エルマは戸惑いつつも、「じゃあ、ラグも入って」と言った。
リヒターはそれを見届けると、満足気に天幕の中へ入っていった。