ラスト・ジョーカー



 もう落ち着いたから戻ろう、と思って立ち上がった。


戻って、ゼンにちゃんとお礼を言って、ミオちゃんのお祝いをしなくちゃ。


深呼吸をして扉に手をかけようとした――そのとき。



「んだぁ? 異形がいるじゃねえか」



 声に反応して振り返ると、飲んだくれたように赤い顔をした中年の男がいた。



「しかも腕輪がねぇ」



 自分の顔が強張るのを、エルは感じた。うかつだった。


自分が野良だということを、忘れていたのだ。



 急いで宿の中へ駆け込もうとして――でも、できなかった。


宿の中に今満ちている、ミオの誕生日を祝う幸せな空気を壊したくない。



 うかうかしている間に、男に手首をつかまれた。


「おまえを売れば金になる。来い!」



 男の腕を、振り払おうと思えば振り払えた。


エルの身体能力をもってすれば、男から逃げることはもちろん、男を返り討ちにすることもできる。



 しかし、そうしようとは思えなかった。


人に危害を加えた異形は――それがどれほど軽傷であろうと、どんな経緯であろうと――死罪になるのだ。



たとえばエルが男の手を振り払ったとして、その勢いで男がバランスを崩して尻もちでもつこうものなら、エルには死の罰を与えられることになる。


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