ラスト・ジョーカー




 狭い小屋のなかに、海底のような静けさが広がった。



唐突に、エルはローレライから聞いた話を思い出した。



ローレライの名前の由来が、大昔の伝説の生き物からであることを。



その美しい歌声で、漁師や旅人を海底へ引きずりこんでしまう人魚。



歌こそ歌わないものの、ローレライはまさしくその伝説の具現だった。


彼女が声を発すれば、いつだってそこは深海のような静けさに包まれた。




 そしてその清廉な静けさを破るのは、いつだって支配人だった。




「……お、お客様に、なにをしている!」




 支配人は慌ててローレライの檻に駆けよって拳を振りあげたが、檻のせいで手が届かないことに気がついて、手を引っ込めた。


いつもならその滑稽な姿に胸のすく思いがするエルだが、今回はそうはいかない。




 手を引っ込めた支配人はポケットから鍵を取りだすと、両脇の警備員に渡して「もっていけ」と怒鳴った。



警備員は檻の鍵を開けると、ぐったりしたローレライを乱暴に引きずりだした。




「待ってっ! ローレライをどうするの?」



 エルは慌てて声を上げた。



「おまえに答える必要はない」




 赤ら顔を怒りでさらに赤くした支配人は言って、小屋を出ていく。


エルは尚も言いつのろうとしたが、その時、ローレライと目が合った。




 警備員に担がれて小屋を出ていくローレライは、エルが今まで見てきたどんな表情よりも、穏やかに、優しく笑っていた。




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