愛を知る小鳥
「母はその時のことを全く覚えてないようでした。私も、酔っ払いの戯れ言として流せばよかったのかもしれません。…でも、母の潜在意識にはその気持ちがあるんだとわかってしまったら、もうそれまでと同じ気持ちで一緒にいるのは無理だと思いました」

美羽は拳を握りしめて俯いた。潤はそんな彼女から少しも目を逸らすことなく黙って聞いている。

「高校に入ってすぐにアルバイトを始めました。卒業と同時に自立するために。母のためにも私のためにも、その方がいいと思ったんです。そのまま一緒にいても、互いに見なくていいところまで見えてしまう。私は母を憎みたくない、好きでいたいから離れることを決めました」

「そこからはもう毎日が必死でした。卒業したらすぐに一人暮らしするつもりだったので、休みの日もほとんどバイトを入れて…学校ではとにかく勉強を頑張って、帰ったらバイト三昧。友だちづきあいなんて全くと言っていいほどありませんでした…。でもそれを寂しいなんて思う暇もないほど、あの時の私は必死だったんです。そして…」

そこで初めて言葉に詰まる。
潤はその後に続く言葉が何なのかをわかっていた。固く握りしめられた拳の上に自分の手を重ねると、微かに震える手にそっとキスを落とした。それだけで強ばった全身から力が抜けていく。
美羽は自分からも彼の手を握り返すと、しばらく目を閉じて息を吸った。


…やがてゆっくりと目を開き、吐き出す息と共に言った。




「あの人に出会ったのはそんな時でした」




< 164 / 328 >

この作品をシェア

pagetop