だから私は雨の日が好き。【春の章】※加筆修正版
泡沫...ウタカタ
「雨の降る少し前に、優しい風を感じる。気配が近づいてくるのが、わかる?」
ジメジメしているだけのようで、最初の頃はその瞬間が好きではなかった。
むしろ、息苦しいほどの湿度に覆われてあまり心地良いものではなかった。
そのことを私の表情から読み取ったのか、不意に低い声が優しさを含む。
隣で呼吸をしている音が。
自分の心臓が動く音が。
聴こえてくる低く心地よい声が。
私の細胞全部に染み渡る。
かけがえのない、僅かな時間。
「緑雨」
リョクウ。
新緑のころ、新しく芽吹いた木々に降り注ぐ雨。
そう、そっと教えてくれた。
「雨はいつも優しさを含んでいる。木々を慈しみ育てる、その役割を知っている」
優しく世界に降り注ぐ。
慈しみの雫。
それはなんて素敵なことだろうと空を見上げた私を見て、満足そうに微笑んだ。
次第に小さな雫が乾いた地面に灰色の斑点を作る。
目の前に降り注ぐ小さな水の粒は、小さな傘の中に世界を閉じ込める。
肩が触れる距離が切ない。
「雨は嫌い?」
優しい声に、小さく首を振る。
傘の中でピッタリと寄り添っているのに、もっと近づきたくてたまらなかった。
歩道横の緑の木々は緩やかな風に揺れている。
芽吹き始めた新芽をかかえて。
どんなに『今』が遠い場所になってしまっても。
私は何度も、この春の終わりを想い出すことだろう。