明日、嫁に行きます!
――――ああ、また鷹城さんに怒られる。
逃げただのなんだの文句を言われて。
重い瞼を、私は無理矢理こじ開けた。
目に飛び込んできた見慣れない景色に、ぼんやりと濁った頭がパッと晴れた。
打ちっ放しのコンクリートの壁。何も置かれていない倉庫のような空間。埃っぽい空気に思わず噎せた時、腹部に鋭い痛みが走った。痛みに身体がくの字に曲がる。
そうだ。私、聡に殴られて……。それからどうしたっけ?
痛むお腹を押さえながら、私はゆっくりと身を起こした。
「……いった……思い切り殴ったなあの男」
ちくしょ。あとで覚えてろ。絶対報復してやるから。
扉は一つ。窓は……天井付近の壁に小窓が一つだけ。そこから差し込む光はなく、正確な時間は分からなかったけれど、日が暮れてしまったのだと気づく。
逃げるにはやっぱり扉からか。でも開けたら絶対誰かいそう。
どうしようか思案に暮れる。
扉を睨み付けていると、ギィッとその扉が開かれた。
私の目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれる。
「え……?」
扉から入ってきた人物は、あまりにも意外で。
「な、なんで?」
私は呆然と呟いた。
「あら、目が覚めたのね。おはよう。あら、こんばんは、かしら?」
聡らを後ろに従えた、姫。清楚とか上品とか、そんな言葉がぴったりな外見をしたご令嬢。
――――高見沢さんだった。
「なんで、貴女が?」
呆然とした私の声に、高見沢さんははんなりと微笑んだ。
「うふふ。総一郎さんはどうしても貴女を離したくはないみたいね」
――――本当に憎らしいこと。
雅やかな容貌が一瞬で夜叉に変わる。憎々しげに呟きながら、高見沢さんはゆっくりとした足取りで私に近付いてくる。
そして、壁を背に蹲《うずくま》る私に、
「いつ攫おうかと楽しみにしていたのに。なかなか隙を見せてくれないんですもの」
歪んだ狂気が浮かぶ目を向け、そう言った。
「貴女が私を攫った、の? ……なんで?」
怯えに震える声だったけど、私は高見沢さんを思い切り睨みつけた。
――――聡を焚きつけて、誘拐なんて大それたことを、本当に貴女が企んだの?
「ああ、疎《うと》ましい。……この綺麗な顔。美しいこの顔と躰《からだ》を使って、貴女は総一郎さんを惑わせたのね?」
高見沢さんの目が、私の首筋をじっと見つめていた。
あっと声をあげてしまう。
首筋には、鷹城さんがつけたキスマークがある。私は思わず襟元をかき合わせ、彼女の目からたくさん散ったそれを隠す。
ガラス玉に似た硬質な彼女の双眸は、深淵のように昏く淀んでいて。私を見ているようで、何も映していないように思えた。
背筋に冷たい汗が流れる。じわじわと足元から忍び寄ってくる恐怖に、コクリと喉を鳴らした。
高見沢さんの細く白い指先が、私の顔にのびる。
私の頬に触れた彼女の手が、ゾッとするほどに冷たくて。
固まる私を睥睨すると、高見沢さんは後ろを向き聡らに目配せをした。
「え、な、なにするの!?」
彼女が送った合図に聡らが目の前にやって来て、私の身体を羽交い締めにする。
四肢を拘束され暴れる私の耳に、無機質で高い音が届く。カチカチカチというその音に、私は竦み上がった。
高見沢さんが手にしているモノは、カッターナイフだった。