明日、嫁に行きます!
息を呑む男達の視線が一斉に扉へと向く。
「寧音ッ」
吹き飛んだ扉の向こう側から、私を呼びながら姿を現した男。
彼の姿を捉えた私の心臓が、ドクリと大きく拍動した。
「た、鷹城さん……っ!」
ぶわっと涙が迫り上がってくる。
涙に霞む視界に映ったのは、殺気立つ怒りと爆発しそうな焦燥を顔に浮かべた鷹城さんの姿だった。
正面から向かってくる男に、鷹城さんは拳を振り上げ、男の顔を容赦なく殴りつける。骨が砕ける鈍い音に、男達が一斉に色めき立った。
「……寧音……っ」
聡に担がれた私を捉え、驚愕に瞠目したまま、鷹城さんは動きを止めてしまって。
その場に固まる鷹城さんの背後を狙い、男が持っていたバールを振り上げた。
その時、壊された扉から駆け込んできた徹くんに、男は背中を蹴り飛ばされて柱に頭を打ち付け昏倒した。
「……その姿……顔の傷……許さない」
――――殺してやる。
お腹の底にズンッと響くほどに低くて昏い、怨嗟の声。
腹立たしいほどに冷静な態度を崩さない、いつもの鷹城さんの姿はそこにはなくて。
目の前には、戦慄を覚えるほどの激しい怒りに身を震わせる――――夜叉がいた。
「……てめえら……」
聡は私を放りだし、手にしたサバイバルナイフを鷹城さんに向けた。
「うそっ」
鷹城さんは聡を睥睨しながらすっと腰を落とした。向かってくる聡を流れるように避けると、振り上げた長い足で上段からの前蹴りを繰り出した。聡が手にしたナイフが弾け飛ぶ。あっと動きを止めた聡に、鷹城さんは重たい拳で腹を抉り上げた。
吹き飛ばされ、地面に伏した聡の腹に、鷹城さんは叩き潰すような蹴りを落とす。
「ぐっ、あぁぁッ」
聡は鮮血混じりの胃液を吐くと、悲痛な呻きをあげながら悶えるように転がった。
鷹城さんの動きに目を瞠る。まるで格闘家のような隙のなさだった。
全員傷だらけで倒れ込んでいる。鷹城さんは衣服の乱れすらなく悠然とその場に佇み、徹くんは呆気なかったと不満げな顔で倒れ込む男を蹴り上げていた。
鷹城さんは彼らなどに目をもくれず、放り出された私の元へと駆け寄ってきてくれて。
座り込む私を、鷹城さんは抱き竦めた。
「……寧音、顔の傷以外に……まさかあの男達に、乱暴……されたんですか」
怒りを押し殺した震える声に、私は無言で首を振った。
鷹城さんから発せられる張り詰めた緊張感が、ほんのわずかだけ緩んだ。
彼は着ていたスーツのジャケットを、半裸の私の肩へと掛けてくれる。ジャケットに残る彼の温もりに、瞼に溜まった涙がポロリと零れた。
「……怖かったよ……」
――――怖かった。もうダメかと思った。
子供のように声をあげて泣きだした私を、鷹城さんは息が止まるほど、ギュッと抱きしめてくる。
私は鷹城さんの胸に、隙間もないほどに身体を寄せ、縋り付く。
「可哀想に。なんてひどいことを……すぐに病院へ行きましょう」
「……うん、うん。来てくれて嬉しかった。ありがとう」
真綿でくるむようにふわりと抱きしめられ、私は全身で彼を感じた。
熱いほどの熱を持った体温、ムスクの混じった少しスパイシーな香水の香り、耳に届く確かな心音。
全てがしっくりと私の身体に馴染むようで、安心しきって身体を委ねてしまう。
「寧音、貴女はあの天使像をくれた少女ではない、そう思って……また僕から逃げ出したんですか」
静かに凪いだその声に、私は何も言えなくて。
顔を伏せたまま、彼の胸に額を擦りつけるようにして頷いた。
「――――ルネ・シルヴィー」
私はハッと顔を上げた。その名に耳を疑った。
「貴女が僕に教えてくれた名前です」
――――ルネ・シルヴィー。
それは、フランスで使ってるわたしの名前。ルネは、おばあちゃんと私だけの秘密の名前だった。
寧音という発音が難しかったお祖母ちゃんは、二人だけの時、私を「ルネ」と呼んでいた。
家族の前ではセカンドネームのシルヴィーを使っていたから、「ルネ」は、家族も知らない名称なのに。
「なんで、なんでその名前」
何故その名を貴方が知っているのか。
そう問おうとして、あっと思い出した。
その名を伝えたのは、遠い昔に一度だけ。
昔見た、あのオレンジの狼神様だけだった。
でも、あれは人ではなかった。私の記憶では、確かに狼だったはず。
なのに、どういうことなのか。
「あー寧音ちゃん混乱してるよ。しゃちょーはね、昔、かなりの悪ガキでね」
クスクス笑いながら、徹くん、悪戯っぽい眼差しを鷹城さんへと向けた。
「頭がね、真オレンジだったんだー。笑っちゃうよね、オレンジだよ、オレンジ。あり得ないよねえ。しかもね、特攻服の後ろにね、これまたオレンジのでっかい狼の刺繍とかしててさ。くくくっ」
「……徹? 今の発言は確実に減給ものだ」
半眼で睨む鷹城さんに、徹くんは「減給だけはヤメて~」と焦った声をあげながら両手を振る。
「え? じゃあ、あのオレンジの……」
「寧音は僕のことを『狼神様』と呼んでいましたね。そんなに僕は『ケダモノ』に見えましたか」
ニヤリと片唇を吊り上げた黒い笑みで、鷹城さんは私を射る。
「あれは……鷹城さん、だったの?」
「ええ。だから、約束通り迎えに来ました」
――――待っていてくれると貴女は言ったでしょう? だから、迎えに来ました。
鷹城さんは私の耳元に唇を寄せ、官能的な甘い声で囁いた。