明日、嫁に行きます!


 鷹城さんに抱きかかえられ外へと連れ出された私は、その時、見てしまった。
 建物を取り囲むようにして止まる複数のパトカーの一台に、高見沢さんが乗っているのを。
 彼女の顔には一切の表情がなかった。ガラス玉のように感情の消えた眸は、動くことなくじっと前だけを向いている。薄く笑んだ赤い唇が、止まることなくブツブツ言葉を刻み続けていた。
 まるでその姿は、壊れてしまったおもちゃを見ているようで。
 思わず目を逸らした私は、鷹城さんの胸にぎゅっと顔を埋めた。
 高見沢さんの姿が私の姿と重なってしまう。鷹城さんがサラを愛し、妹を選んでいたら。私は、もしかしたら、今の高見沢さんのようになっていたかも知れない。
 他人事とは思えなくて、ただただ辛くて。
 心配そうに私の背を撫でてくれる鷹城さんの温もりに、私は縋るように身体を強く押しつけた。


 その後、私は駆けつけた救急車へと乗せられて、病院へと搬送された。
 顔の傷は、出血量はかなりあったものの、幸いにも神経が傷つくほど深くはなかった。けれど、傷跡は残ってしまうだろうと医師は告げた。

「傷は残しません。良い形成外科医に依頼して、傷跡の修正術を施してもらいましょう」

 憤りに顔を曇らせながらも、「心配ない」鷹城さんは強くそう断言した。

「うん。ありがとう」

 私が負った傷で、彼が今、怒り哀しんでくれていることが、私は嬉しかった。
 鷹城さんは、私の身体を自分のこと以上に心配してくれる。それをまざまざと見せつけられて、地に足が着かなくなるほどにときめいて、胸が高鳴ってしまう。
 そして、鷹城さんの言葉通り、昔出逢った少女が私なのだと言う事実が、私の心を満たしてくれた。
 彼に愛されていたのは、かつてルネと名乗った少女、私自身だと理解して。
 約束通り、彼が私を見つけて迎えに来てくれたことに、鷹城さんが言った『運命』という言葉を信じてしまいたくなるほどに、魂が震えた。

「でも、なんでちゃんと過去に出逢った少女が私だって……ルネって名前を言ってくれなかったの?」

 その問いに、鷹城さんは微妙な顔をして黙り込んだ。それを見て、徹くんが、

「あー、しゃちょーは知られたくなかったんですよねー。自分がオレンジ頭のヤンキーだったってこと。だって、今のイメージと全っ然違うしー」

 言いながら、徹くんはニタリと含み笑う。

「……本当なら言いたくはなかったんですがね」

 むっつりと不機嫌そうに、鷹城さんは目を逸らしてポツリと呟く。
 憮然とした口調だったけれど、顔を逸らせた彼の耳が赤く染まっていることに気付いて、私は毒気を抜かれてしまった。

 ――――た、鷹城さんが……テレてる!

 ポカンと口が開いてしまう。

「寧音ちゃん、今度写真持ってきてあげるよ。ヤンキー時代のイカツイやつ」

「え、ホント!? 見たい見たい!」

 徹くんの申し出に、ヤンキー姿な鷹城さんが見れると、私は『きゃーっ』と歓声をあげた。

「……やってみろ。減給の上、今後一切ボーナスはなしだぞ」

 鷹城さんの冷たく非情な宣言が、徹くんの頭上にドカンと直撃した。

「寧音ちゃんゴメン、やっぱ無理っ」

 手のひらを返したように、てへっと舌を出して謝る徹くん、切り替え早ッ!

 ……目の前のニンジンをいきなり取り上げられた馬みたいな気分なんですけど、私。

 怒りをこめて睨みつける私に、鷹城さんは清々しいまでの満面の笑みで、

「貴方を不安にさせていた問題は、これで全てなくなりましたね? 僕の妻になってくれますね、寧音」

もちろん答えはイエスしか言わせねえ。そんな脅し紛いな鋭い眼差しを向けてくるものだから、私、「まさか」と思い、彼に恐る恐る聞いてみた。

「え、い、今すぐと違うよね?」

 私の問いに、鷹城さんは「今すぐ、ただちにです」きっぱりと傲岸に笑みながら言い切った。彼が発する本気の気迫に、私は思わず身体を海老反りに反らせながら目を点にした。そして、つい本音が漏れてしまう。

「そ、それはもちろんしたいけど……今すぐはちょっと……。だって私、まだ18歳だし、大学もあるし、今すぐ結婚とかはちょっとムリかなって……」

 両思いって分かったからって、お付き合い期間なしで結婚って。
 せめて、お付き合いしましょうから入るんじゃないかな。恋愛のステップ的には。

「チッ……まだ拒むか」

 ホントにちっちゃい舌打ち混じりの低音ボイスが耳朶を掠めて、私はブルッと怖気上がった。

「け、契約期間はハタチまででしょ? ……だから、ハタチになってから、ね?」

 ヒクヒクと引き攣り笑いを浮かべながら、まるでお酒のCMのようなセリフを吐く私に、

「……そうでしたね。そういう約束でしたね」

 色よい即答を得られなかったことに、がっかり力が抜けるようにして鷹城さんは肩を落とした。
 見てて可哀想になるくらい落胆を表す彼に、私は笑いを我慢できなくて。思わずぷはっと吹き出してしまう。
 じっとり恨みがましい目で睨まれたけど、私は「知らない」とばかりにスィーと視線を逸らせた。
 そして、あっと声をあげて、思いだしたように気になっていた疑問を口にした。

「ねえねえ、なんであの場所に私がいるって分かったの?」

 ――――繁華街に寄ったこと、私、家族にも誰にも言ってない。そもそも今日の私の行動って、誰も知らないはずだよね?

 そう聞いた途端、鷹城さんと徹くんはむっつりと押し黙ってしまった。
 あれ? なんでふたりともそんな神妙な顔してるんだろ? 
 私は頭に疑問符を散らしながら、ふたりの顔を見比べる。

「……ねえちょっと。なんでふたりとも黙ってるの?」

 徹くんは笑いを耐えているみたいに口をもごもごさせたまま、意味もなくあさっての方角を向いているし。鷹城さんに至っては、唐突にスーツの内ポケットに手を突っ込んだと思ったら、おもむろに手帳を取り出して眺め出す始末。

 ……なんだこれ。何か隠してやがりますね、この男達。

 私はイヤな予感がして、徹くんを見据えた。

「白状しなさい。なに隠してるの」

 彼の真正面に回り込み、じーっと睨んでやる。そうしたら、徹くんの前にいた私を、ムッと不機嫌面の鷹城さんが割って入ってきて。

「寧音、愛の力です」

 なんて、営業用の笑顔を向けてくる鷹城さんに、私は口をパクパクさせて絶句した。
 ちょっとこの人だいじょーぶ!? と、私は徹くんに助けを求めるようにして視線を合わせる。
 徹くんと私の無言の応酬に、「あーもームリッ」徹くんは諸手を挙げて、私に爆弾を投下した。

「いやー今までの経緯で絶対気づいてると思ってたけどなー。気付いてないなんてビックリだよー。寧音ちゃんの携帯、GPS付けられてたんだよね」

「え?」

 GPSという単語に、私はまたも絶句する。

「携帯の契約者ってお父さんでしょ? それをしゃちょー名義に書き換えて、GPS付けてたの。しゃちょーはね、仕事中もパソコン開いて、ずーっと寧音ちゃんの動向チェックしてたんだよねー」

 予想外の衝撃に、完全に言葉が行方不明になってしまった。

「……黙れ、徹」

 ケタケタ笑う徹くんに、鷹城さんは殺気混じりの冷たい視線を投げて黙らせる。

「そ、それ、本当なの?」

 喉に詰まった言葉を何とか絞り出す。すると、鷹城さんはにっこり微笑んで、

「徹の戯言です」

 さあ行こうとばかりに、私の背に腕を回してさっさと徹くんから離れようとする。

「寧音ちゃん、今度携帯ショップで契約者、だれか聞いてみたらいいよー」

「黙れ徹」

 背後から聞こえた徹くん声に、鷹城さんは底冷えするような双眸で一喝した。

「……ありえない……」

 だから、私が捕らわれていた場所が正確に掴めたのか。今まで感じていた不可解な疑問の答えを知って、愕然とする。
 実家に帰った時も、会社から距離があるはずなのに、15分足らずでやって来た。
 それに、高見沢さんに本社ビルから後を付けられた時。電話を切った後、あんなにも早く駅に駆けつけることが出来たんだ。
 ふつふつとした怒りが込み上げてくる。

「鷹城さん? それって、まんまストーカーじゃない?」

「失礼な。全ては貴女を想えばこその行動。つまり、愛ゆえの行動と言えなくもない」

 あっ、GPSつけてんの暗に認めたなこの男。しかも、開き直って「何が悪いのか」といわんばかりのその態度。その上、「言えなくもない」ってなんだ。『愛ゆえなのか性癖なのか判断つかない自信ないなー』って言ったも同然じゃない。単なるこじつけをそれらしく脚色して言うな。
 怒りのあまり半眼になる。
 私の背中に置かれた彼の手が、逃がさないとばかりに力がこもる。

「……ハタチになったら結婚とか、ちょっと考えさせてもらうわ」

 つんっと顔を逸らして唇を尖らせた。瞬間、鷹城さんが纏う空気の温度がヒヤッと下がる。

「――――ほう。いい度胸だ」

 婀娜めいた色悪な雰囲気を漂わせながら、凄絶なほどに色めいた双眸で射貫かれる。
 条件反射のようにしてギクリと身体を強張らす私に、果てしなく黒い笑みを浮かべた鷹城さんは、病院ロビーという公衆の面前で、『罰だ』とばかりに噛みつくようなキスを仕掛けてきた。




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